英語学習を振り返って(その1) 筆者:城所卓雄 更新日: 2019年5月15日
1.はしがき
〈筆者からの自己紹介〉
城所卓雄は、1969年(注:外務省創設100周年)に外務省に入省し、2011年外務省を退職しました。本年は、正に、外務省における在勤43年間と退職して7年間を経て合計50周年目(注:外務省創設150周年)となります。
この機に、自身の外国語(中学・高校時代の英語学習、大学や外務省入省後の外国語)の学習・修得ぶりを振り返ってみようと思います。
2.小学校時代
(1)小学校に入学しました1952年(昭和27年)、学校給食と言っても、主に米国からのララ物資による脱脂粉乳によるミルクだけでした。ただ、毎月の月末の給食には、これにココアが混じっており、とても美味しかったので、子供心に、月末のココア入りのミルクが楽しみでした。
(2)当時の子供達の遊びは、ドッジボールや野球が中心でした。友達とは、よく相撲を取ったことを昨日のように記憶しております。
家には、お琴がありました。3姉妹がお琴を習っていたことに加え、このお琴の先生が、時々自宅に来て3姉妹にお琴の指導をしていました。私は、その先生から直接お琴は習っていなかったのですが、いわゆる「坊主、習わぬ経を読む」の通り、いつの間にか、お琴が弾けるようになりました。後に、外交の文化関係の場で披露する機会に恵まれました。
そんなこともあり、自宅にはピアノはなかったのですが、音楽に興味を持ち始め、小学校の後半の3年間は、小学校の音楽担当の先生から、4年間無料にてピアノを学ぶ機会に恵まれました。ちなみに、そろばんは3年生から6年生までの4年間、書道は6年生の時の1年間、それぞれ塾に通い学びました。
(3)小学校の3年生からクラス委員が、各学期、男女それぞれ2名ずつが選ばれておりましたが、私は、4年間、いつも3学期目のクラス委員でした。要するに、「普通の生徒」でした。「普通の生徒」に加え、私自身が饅頭・お煎餅が大好きな「甘党」でしたので、将来は、お饅頭屋かお煎餅屋になろうかと考えていました。
3.中学校時代
(1)中学校に入学して、初めて英語の授業がありました。この時のK先生のご発言は忘れることができない貴重なアドバイスでした。それは、「本日から、皆さん生徒さんは、初めて英語を学習するのですが、国語や算数とは異なり、皆さんすべてが全く初めての英語学習となります。出発点は皆さんすべて同じで、実力には全く差がないので、皆さんご一緒に頑張りましょう」と激励されたことでした。
(2)しかし、英語学習を開始して1ヶ月も経たない内に、生徒間で、英語の実力に差が出て来ることが、看て取れました。同じクラスにいたY君は、K先生が授業で説明する前に、既に理解していたので、ある日、Y君にその理由を照会したら、「少人数だが、大学生から英語を習っている者がいる」との回答がありました。
大学生に英語を習っている級友の存在を知り、1年生の2学期から、大学生であるO先生から指導を受け始めました。英語のほか数学も学び始めました。
(3)振り返ってみますと、60年以上も前のO先生の英語指導方法は、とても素晴らしい経験となりました。具体的には次の通りです。
・O先生の英語の発音が、とても素晴らしく、私自身も、それについて行けるようになりたいと頑張りました。
・O先生より、英語の教科書に記載されている内容は、全て暗記し、書き込むように指導されました。週2回の英語塾でしたが、毎日の英語学習がとても楽しいと思えました。
・中学2年の6月頃の英語の授業で、中学校のK先生より、「前日までに学んだ第4課の内容を正確に言える人」と言う質問が出たので、私は、その場で手を挙げ、ゆっくり正確に発表したことがありました。K先生より、「城所君を見習って」と言われ、感激したことは、今でも忘れておりません。こんな経緯もあり、中学2年の2学期の英語の成績は、「5」に昇格しました。
翌3学期には、数学と理科も「5」に昇格しました。3年になったばかりの5月頃、PTAの父兄会があり、学内の英語テストの結果が校内で掲示されました(その当時の3年の生徒数は約250名)。すると、これを見た母親が驚いて、「卓雄、学校で英語が1番だって。信じられない」と言ってもらえました。
・英語中心の学習の成果はどんどん上がり始め、卒業時の成績では、全9科目のうち、体育と職業以外はすべて「5」となりました。一つでも好きな科目ができると、それが全学科に素晴らしい影響を与えるということを、ここで強調させてください。
(4)O先生からの素晴らしい指導は、さらに続きました。私自身は、K県(神奈川県)出身・在住でしたが、O先生よりご自身の卒業高校であるA高校(厚木高校)に進学するように勧められました。当時は、学区内・外と言う制度があり、このA高校は学区外でしたが、受験し合格しいよいよ入学する事になりました。この時のO先生の私に対する学習指導も、とても素晴らしいものでした。
・O先生より、「自分は、もうこの3月で大学生を終了するので、城所君の英語指導ができなくなる。あと2週間少しで3月が終わるので、英語学習の特別指導をしてあげよう」と言われたことでした。
・具体的には、高校1年生の英語の読解と英文法の教科書の8割ほどを集中的に教えていただきました。その指導法は、中学時代と同様、教科書上の英単語は完璧に覚え、スペルは、完璧に書けることです。英文法については、中学校時代に充分学んだので、新たに学ぶ内容がなかったため、とても楽な科目となりました。高校1年の6月頃、英文解釈の授業の際、高校のT先生より、何の前触れもなく、「第1~4課で学習した英単語のテストを今から行う」と言われ、突然テスト用紙を生徒に配りました。O先生の英語の特別指導のお陰で、私一人が、100点を取りました。
・O先生の英語の特別指導で、決して忘れることができないのは、「山崎貞」の「英文解釈」でした。わずか2週間ほどでこのテキストの6~7割を終了させ、残りは、独学で学び始め、当初は3~4週間で、この英文解釈の1冊を独自で読み終わっていましたが、1年間も経たない内に1週間で、独自学習を進めるまでに実力が付きました。
・60年前のことを振り返って見ますと、O先生による中学卒業から高校入学までの2週間に及ぶ英語特別指導が、私の外国語学習への道筋を付けてくれたと感謝している次第です。
(5)高校時代の学習方法
・A高校は、進学高校として有名校でした。高校に入学してすぐ、授業終了後、ある日、図書館に行きましたら、図書館には、生徒があふれていました。生徒の姿をよく見ますと、図書館の本を探したり、読んだりしている生徒は少なく、ほとんどの生徒は、その日、学校で学んだ内容を復習していることに気が付きました。そこで、私自身も、毎日、図書館に通い、その日の学習内容はその日の内に復習するようになり、学習能率が高めました。
・英語学習に戻ります。ちょうど、高校に入学した時に購入した本の付録に、「英単語の簡単な暗記辞典」のようなものがあり、高校通学時に、電車で約6分、徒歩通学で約25分を級友と一緒に暗記するように努めました。
まだ15~16才の頃でしたので、毎日15~20個の英単語を暗記することができました(70才を越えますと、その日に覚えても直ぐ忘れますので、当時の暗記力・記憶力は、素晴らしかったと評価しております)。
・高校1年生になったばかりの頃、学校の英語の授業だけでは満足できず、大学入試用の試験問題集を購入し、その問題集を独自で学習し、理解できない部分は、英文解釈のT先生の元を訪れ説明していただき、英語力を高めたことがありました。
・これらの独自の英語学習の成果が、少しずつ出て来て、英語の受験用模擬試験では、2年生の春には、同級生のF君と私だけで、3年生の全員を抜いてしますと言うレベルに到達しました
・以上のような経緯もあり、高校2年生から3年生に進級する春休みに、T大(東京外国語大学)の入学試験問題をトライしたら全問解答できたので、その大学を来春の受験しようとF君と二人で決めました。
(6)高校時代の英語学習貢献
以下の2点は、母校の高校の英語学習に対して貢献できたと思います。
・筆者が在籍したA高校は、開校60周年を迎えるなど当時として歴史のある学校でしたが、東京五輪を翌年(1964年)に迎える中、いわゆるグロ-バル化には、乗り遅れているとの印象を持っておりました。
・A高校は、口頭弁論大会では、毎回上位にランクされていました。しかし、これだけ歴史のある高校で、英語弁論大会すらないことは理解できません。そこで、筆者が高校3年生の春の口頭弁論会を前にして、学校の幹部に申し入れ、高校始まって以来「英語弁論」を試作で組み入れてもらいました。英語弁論者の第1号は筆者です。
・さらに、グローバル化を前にして、高校に英会話クラブがないことに危惧し、3年生の秋に、英会話クラブを創設しました。T先生、S先生のお二人、F君に感謝しています。
(ライセンスアカデミー・大学新聞社 学術顧問 城所卓雄)
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