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仏様の指~ぼうず通信より

「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、
一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった。
そこはたいへんなぬかるみであった。
車は、そのぬかるみにはまってしまって、
男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
いつまでたっても、どうしても車は抜けない。
その時、仏様は、
しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、
ちょっと指でその車におふれになった、
その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、
からからと引いていってしまった。」
(『教えるということ』共文社 大村はま)

「これがほんとうの一級の教師だ。
男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びで、
その車を引いていったのだ」
若い頃、大村先生は尊敬する先生からそう教えられたそうです。
そして、「生徒に慕われているということは、
たいへんに結構なことだ。
しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言われ、
その言葉は日がたつにつれて深い感動となったそうです。

これは国語教育の大家である大村はま先生の
半世紀前の著書『教えるといこと』に書いてある逸話です。
教育の本質は今もまったく色あせていません。
足元のぬかるみにはまって汗びっしょりになってもがいている生徒、
それは発達障害などで生きづらさを抱えて、
苦しんでいる生徒に重なります。
そういう生徒をどこまで手厚く面倒を見ればいいのか、
その明確な答えはありません。
それでも粘り強くとことん面倒を見てくれている先生が
本校にはたくさんいます。

そして大村はま先生とまったく同じことを
自己申告書の自由意見欄に書いてくれた先生がいます。
その文章を読むたびに勇気をもらっています。
「全てを一緒にやらずとも要所、要所でつまずいている石をどければ、
生徒は川の流れに逆らわず本流に合流し、
すんなりと流れていくことが実体験できた。
生徒の力は計り知れない。
限界を決めているのは結局、教員側なんだと思う。
生徒がつまずいている石を、
本人に気付かれずにどける方法を更に研究していきたい」

一流の教師にはなかなかなれませんが、
生徒に寄り添い、生徒の生きづらさを受け止めることができる、
そんな教育の原点を見つめる教職員がいる学校を
目指したいと思います。

(東京都立秋留台高等学校 校長 磯村元信)

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