「あれか、これか」 筆者:橋本 光央 更新日: 2018年12月13日
国民栄誉賞にも輝いた将棋の羽生善治永世七冠は、
こんなことを言っておられます。
「ちょっと前までは、社会というのは、
本音と建て前、ダブルスタンダードでやってきた。
法律やルールがあっても、まあこれぐらいはね、
という個人が介在できる余地があった」、と。
確かに、「正論は正しい」に間違いはありません。
ただ、「正論は正しい」のですが、
正論を押し通すことによって失敗してしまうこともあります。
だから、ちょっと前までは、
「まぁこれぐらいはね」という中庸な状態が快適さを生んでいたのでしょう。
ところが、劇場型政治が持てはやされ、
話をワンフレーズで言い切ってしまうことが時代の趨勢となった頃から、
世の中は中庸を許さなくなってきました。
本当は「なぜ、そうなるのか」という部分が大切なのに、
「あれか、これか」の結論だけを求めるようになってしまったのです。
日本語は、「最初に理由を述べた後で、
最後に結論を述べる」言語体系となっています。
だから、最後まで話を聴かなければならないし、
日本人なら誰もがきちんと話を聴く習慣を身につけていました。
相手の話を聴いた上で、
「本音と建て前の間に、まぁこれぐらいはね」という
判断をしていたのです。
その判断力を身につけた人が大人であり、
大人の判断力は互いに心地よい人間関係を作り出していました。
なのに、今は、
「あれか、これか」の二極化現象。
でも、「あれか、これか」を言い換えると、
「これ以外は全部ダメ」となり、自分の考え以外を一切認めず、
相手を全否定することになってしまいます。
やはり、日本人なら相手を熟慮する心を持ち続けたいものです。
そのためにも、学校では単に答えを教えるだけではない、
「なぜ」を大切にした教育をしていきたいものです。
(大阪国際滝井高等学校 総務部 橋本光央)