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「排除~ぼうず通信より」

この国では「排除」という言葉は悪い言霊として作用する。
昔は「村八分」という言葉があった。
村からの完全な排除ではなく、火事と葬式の二つだけは仲間に入れる。
そんなギリギリのセーフティーネットがあった。
完全な排除は結局よい結果をもたらさない。
そんな智慧が伝承されてきたのかもしれない。

最近の世の中を見ると、
排除があからさまには見えない形でより浸透しているように感じる。
それは社会正義を装うことも多く、法律や規則を盾に正論のバッシングが吹き荒れる。
その結果、一度でも失敗やドロップアウトをすると
2度と立ち上がれない、再出発が困難になる、そんな時代になってきたのかもしれない。
大国のリーダーが排除の本音をもらすと大バッシングが起こるが、
裏を返せばそうした空気が世の中に蔓延しているからではないのか。

学校も排除の言葉は悪い言霊となる。
生木を断ち切るように生徒を排除すると後々問題の火種は思わぬところに飛び火する。
学校の環境に合わない生徒は確かにいる。
欠席や遅刻が多く、先生の指示に従わず、問題行動を繰り返す。
みんなと一緒に集団生活が送れない。
そういう学校の枠からはみだした生徒をどうするか。

筆者、「じじい」の考えはこうだ。
日常的な規則や規律をできる限り厳しくする。
タイトな規律からはみ出した生徒をその枠組みに引き込もうとする。
粘り強く引っ張り入れようとする。
それを粘り強く続ける。
当然その枠に収まらない生徒も出てくる。
結果的に進路変更になる生徒もいる。
でも徒労にも見えるこの過程が大切なのだ。
引き戻そうとする引力から、本人や保護者の意志で離脱しようとする、
その構図が様々なトラブルの予防線となり、
かつ本人に次の進路を意識づける機会となる。

もちろん次もうまくいかないことの方が多いだろう。
それでも自分が選んだ、という自覚は残る。
担任は一生懸命引き止めてくれたという事実も残る。
それが時空を越えたつながりとなる。
やめた生徒や少年院から出てきた生徒が、学校に来ることがある。
担任やお世話になった先生に会いに来るのだ。
そんな些細なつながりでも実感できれば彼らは明日を生きていけるからだ。

大事なことは本気で生徒を引き戻そうとすること。
ある先生がこんなことを言っていた。
「頑張れ、頑張れ」と口では応援しているように言っているが、
その目からは「やめちゃえ」光線が出ている。
生徒はそれを敏感に感じ取っているんですよ。
「あんな生徒はやめた方がいい」 
排除の言葉は悪い言霊として作用する。

【原典】http://www.akiru-h.metro.tokyo.jp/site/zen/page_0000000_00046.html

(東京都立秋留台高等学校 校長 磯村元信)

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