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百文は一経験に映える 筆者:羽根田 ひとみ

「百文(ヒャクブン)は一経験(イッケイケン)に映える」
これは、「百聞は一見にしかず」をもとに、
私が考えた言葉だ。

少し前の話だが
10月に行われた衆議院選挙で、
高校3年生の息子を連れて投票に行った(半強制的に)。
少し緊張していたようであったが、
会場から出ての第一声が、
「『比例』の意味が分かった」だった。
家に帰ってから姉妹に、
「俺は有権者としての役目を果たして来た」
と自慢げに話し、
続けて比例代表制の仕組みを説明していた。
姉妹からは、「公民で習ったべ」と返されていたようだが、
経験したからこそ本当の意味で理解できたのだろう。
もちろん、授業が役立つことも学んだようだ。

ふと、長女の小学校低学年のことを思い出す。
盆踊りの参加賞で図書カードをもらい、
そのカードで野口英世の伝記を買い、読んだ。
関心を示したようだったので、「野口英世の生家に行く?」と尋ねたら、
「えー、残っているんだ!」と喜んだ。

実際行ってみると、本で読んだ通りだった。
柱に刻んだ文字や、やけどを負った囲炉裏・・・
身につけていた物を見て、「本当に小さかったんだ」と。
顕微鏡やノート、母の手紙、奥さんのことなど、
展示してあるものを、自慢げに解説・案内した。

それから我が家では、教科書に紹介された舞台に行くようになった。
教科書以外でも、
子どもたちが読んだ本に基づく映画を見に行った。
(長女は同じ映画を4、5回は見に行く)
ドラマでは脚本家にも興味を持つようになった。

文章を読んだり、人から聞いたりした後に、体験すると、
より感動や印象は記憶に残るものだ。
いま、多くの生徒が高校で授業を受けているが、
いつの日か、
「これか! 先生が言っていたのはこれだったんだ!」
と、感激するときがやってくるものだ。

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