「『探究』の市場化と、なんちゃって化?」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎 更新日: 2025年2月6日
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ふと気がつくと、今どきの教育界は、まさに「探究」流行りである。
政策的には、2008年・09年の学習指導要領の改訂以降、「学力の三要素」に対応した、
「習得・活用・探究」という学習プロセスが重視されてきたという経緯がある。
そして、2017年・18年告示の現行の学習指導要領では、これをさらに発展させて、
子どもたちが「資質・能力の三つの柱」を身につけ、
「主体的・対話的で深い学び」を実現することをめざしたのである。
そのため、高校においては、従来の「総合的な学習の時間」を「総合的な探究の時間」に変更した。
要するに、学校現場は、通常の教科等においても「探究的な学び」の実現を追求するとともに、
総合的な学習(探究)の時間において、
探究学習に全面的に取り組むことが求められるようになったのである。
そうなると、にわかに現場に登場してくるのは、
探究にどう取り組むかを「指南」する研修、指導資料、教材例、
あるいは探究学習を進めるためのICTサービスといったツールである。
当初は、文科省や教育委員会などの公的機関が提供していたものもあるだろう。
しかし、現在のご時世では、当然のことながらここには、民間教育産業が参入してくる。
中には、経産省の「未来の教室」事業の補助金を得ているような事業者も少なくなかろう。
結果として、「探究」は市場化し、半ばビジネスの世界に足を突っ込むことになる。
もちろん、市場ベースで提供される教材やサービス等であっても、
それが教育的に優れたものであり、子どもたちの探究や学びの質を高めるものであれば、
批判されなくてはいけないような理由はどこにもない。
しかし、往々にして、市場化された探究学習は、
それが「形式化」され、「パッケージ化」され、「手続き化」されがちになる。
総合型選抜の入試の面接を担当していると、
高校時代に取り組んだ探究学習について語る受験生に出会うことも多い。
ただ、正直に言ってしまうと、その探究には、
「なんちゃって」感を感じざるをえないことがままある。
探究学習としての形式や手続きは、それなりに整っている。
しかし、形が綺麗なだけで「魂」が入っていない。
なぜ、その課題に取り組むのかに切実感がなく、結論に辿り着くまでの苦労や挫折の跡などは見えない。
こちらとしては、少々荒削りでも構わないので、
渾身の力を振り絞った感が滲み出てくるような、そんな学びの軌跡を聞きたいのであるが。
日本の教育界にとって、「探究」にトレンドが向かったことは、明らかに前進であろう。
しかし、そこには、大いなる「落とし穴」が待ち受けていたということだろうか。
【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。