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「指導的・指示的なかかわり方のTPO」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

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ある研究会に参加していて、印象に残る言葉に出会った。
その言葉を発したのは(仮にYさんと呼ぶことにするが)、
不登校の子どもの支援をしている地域ベースのNPOの代表である。
このNPOの活動には、居場所型のフリースペースの運営だけでなく、
訪問型やアウトリーチの支援もあり、大変に興味深い。
Yさんは、そんな取り組みの仕組みや、子ども・若者たちの様子、
支援者側の日々の苦労などを報告しながら、
自分たちの取り組みが大事にしている基本的な姿勢を強調していた。
いわく、「子どもにはけっして指導的・指示的にかかわらない」のだ、と。

正直に言うと、この発言の内容については、他の機会にもよく聞くし、
そもそも「非指示的」は、ロジャース派のカウンセリング(来談者中心療法)の基本のキでもある。
印象に残ったのは、これに続くYさんの言葉のほうである。
「とはいえ、私たちが指導的・指示的でないかかわりに徹することができるのは、
他に指導的・指示的なかかわりを引き受けてくれるところがあるから。
そのことは自覚している」と。含蓄のある言葉ではないか。

指導と受容は、つねに相反するものなのではなく、子どもの成長発達にとっては、
時と場合、子ども自身の状態とニーズに応じて、どちらも必要なものであろう。
親の会など不登校関係者の集まりに行くと、
これまで痛めつけられてきた学校への批判が強いためか、
「学校的なもの」、指導や指示ということが全面拒否される場面にでくわすことがある。
気持ちはよくわかるが、しかし、受容だけで子どもが育つわけではない。
もちろん、あまりに強く、硬すぎる指導や指示ばかりをしてきた学校や教師は、
それが子どもを追い詰める可能性があることを大いに反省しなくてはならない。
非指示的に見せて、巧みに子どもを誘導するのも同じことである。

こんなことを考えながら、ふと大学の現場に思いを巡らせてしまった。
講義やゼミであれば、指導と受容のバランスという発想は取りやすい。
では、キャリア支援の現場はどうだろうか。
教育課程があるわけでも、到達目標があるわけでもない領域である。
指導的になりすぎるのは問題なのだが、しかし、実際問題としては、
受容だけに徹していては「支援」にならないという現実も透けて見えてくる。
悩ましいところである。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。

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