「教育機関の内・外から見える『キャリア』」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎 更新日: 2024年9月20日
高校生のための進路ナビニュース
数年前から、厚生労働省の認定機関による、キャリアコンサルタント養成講座の講師を務めている。
筆者の専門は教育学なので、もしかすると「えっ?」と思われる方もいるかもしれない。
念のために説明しておくと、
国家資格であるキャリアコンサルタントが働く場として想定されている分野には、
企業、職業斡旋機関(ハローワーク等)と並んで、教育機関(大学・学校)がある。
そのため、合計150時間と定められた養成講座のカリキュラムには、
「学校教育制度およびキャリア教育の知識」が含まれている。
筆者はこれを担当している。
とはいえ、講座に通ってくる受講生は、大半が企業に勤務する方々である。
まれに、大学でキャリア教育科目を担当しているといった方も交じっているが、
そうした方も、元々は企業の出身であったりする。
そういう意味で、この講座で講義をし、受講者とディスカッションすることは、
筆者にとって、他では得られない貴重な発見や気づきの場となる。
ふだんは働きながら、土日や祝日にわざわざ講座を受けるために通ってくる受講生である。
その意欲と熱心さには頭が下がる。
しかし、わかりやすく言ってしまうと、教育学や教育界の「常識」は、およそ通用しない。
例えば、厚生労働省によるキャリアコンサルティングの定義は、
個人の職業生活設計の支援であるとされるように、ワークキャリアに焦点が当てられている。
しかし、少なくとも教育の世界でキャリアが問題となるとき、
そこにはワークキャリアも当然含まれるが、より広いライフキャリアが想定される。
「社会的・職業的自立」といった目標設定がされるのは、そのためである。
とすると、教育機関の内・外にいる者が、同じ「キャリア」という言葉で会話をしても、
そこには思わぬズレや行き違いが生じてしまう可能性もある。
キャリア支援やキャリア教育の取り組みの意図が、すれ違ってしまうことだって起こりうる。
講義は、こんなところから始まる。聞いている受講生は、「そっか」といった顔つきをする。
そして、そうした反応を見ていて、
筆者の側も「そっか(そういう反応になるのか)」と思うのである。
お互いに、自分の側の「常識」を前提にしてはならない。
「越境学習」とはよく言ったもので、異文化と交わることから得られる発見や気づきは、
こちら側が無意識に前提としていた発想やものの見方、大げさに言えば、世界の風景を変えてくれる。
【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。