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「マスクが照らし出す日本社会と大学のありよう」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

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3月になって、教授会メンバーの間では、
にわかにマスク着用をめぐる話題で持ちきりになった。
言うまでもなく、政府が、マスク着用は個人判断とするという方針を決めたからで、
卒業式や4月以降の新年度の授業時の対応をどうするかが中心であった。が、果ては、
就活の際の面接はどうなるのかといったことにまで話題が及んだ。

さまざまな意見が行き交ったものの、大学としての方針も明確にされたので、
その後は落ち着いた雰囲気で、3月14日(政府が決めた「解禁日」)以降の日々が流れている。
ただ、この間の経緯の中でつくづく実感したのは、
こうしたマスク論議(騒ぎ)じたいが、きわめて日本的なものなのではないかということである。
要するに、個人判断だと言われようが、
ともかくも「みんな」が準拠すべき「何か」を決めたがるのである。
こうした固有日本的な文化は、護送船団方式のように個を守ることもあれば、
均質な同調圧力のように個人を抑圧することもある。
きわめて両義的であり、かつ、さじ加減が曖昧である。
例えば、勤務先の大学では、新年度の授業時には、
「マスクの取扱いは基本的には本人の意思を尊重しつつも、
当面の間、授業内でのマスク着用を推奨する」という方針が出されている。
「着用を求めないことを基本」とする政府方針との折り合いに
苦労したのだろうが、歯切れが悪い。
個人判断は尊重するが、着用を推奨する。しかし、推奨なので強制はしない。
このあたりの意を汲み取れといった感じなのだろう。
ただ、かくも日本的な論理を、本学に来ている留学生たちは理解できるだろうか。

4月以降、実際は何が起こるのか。
気持ち悪いくらいに全員が、きっちりとマスクを着用しているのかもしれない。
「尊重」と「推奨」の駆け引きで、
教員と学生の間、あるいは学生間に多少のトラブルが発生するのかもしれない。
蓋を開けてみなければ、わからない。しかし、大学という場をこんな空気にしておいて、
教育理念としては個人の自立や主体性の発揮を求めるのは、
どうにもやりきれない思いがする。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。

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