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【進路コラム】「人をつくる教育を考える―江戸時代の事例から(その6)」筆者・内藤徹雄

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「尊皇攘夷と水戸藩校弘道館」

今年のNHK大河ドラマは、
渋沢栄一が主人公の「青天を衝け」です。
このドラマの前半で、
竹中直人扮する水戸藩主・徳川斉昭(烈公)が登場し、
大きな紙に筆で「尊攘」と書くシーンがありました。
それを見て、水戸弘道館の正面玄関の
「尊攘」と書かれた掛け軸を思い出しました。
これは斉昭の書ではありませんが、
じつに雄渾な迫力のある書でした。

さて、第9代藩主徳川斉昭は、
天保12年(1841)、水戸城三の丸に藩校弘道館を創設しました。
「弘道」館という名称は『論語』を出典とし、
「人たるの“道”を求め、これを実践し“弘”めるための学校」
という意味だそうです。
藩士の子弟は10歳から近所の私塾に通い、
15歳からは弘道館での学習が義務づけられました。
敷地は現在の弘道館公園の他、
近隣の小学校、県立図書館、県庁舎を含み、
5万4千坪と全国一の規模を誇っていました。  
構内には学問を学ぶ文館、武術修行の武館の他、
医学館、天文台、そして広大な調練場が設けられ、
千人ほどの藩士の子弟が学ぶ、
さながら現在の総合大学のようでした。

水戸黄門(第2代藩主光圀)以来、
天皇や朝廷を尊重する尊王論に基づいた
水戸藩独自の学問、水戸学は、幕末期になると
「西洋列強からいかにして日本を守るか」
という問題に直面しました。
その結果、伝統的な尊王論に攘夷論を加えて、
「天皇を中心に挙国一致で外国を打ち払う」という、
いわゆる「尊王攘夷論」が生み出されました。
こうした尊皇攘夷論の中枢は水戸の弘道館であり、
吉田松陰、西郷隆盛、橋本左内等幕末に活躍した憂国の志士が
数多く水戸を訪れて弘道館でその感化を受け、
これが明治維新への原動力になったといわれています。

元々は一つの藩の学問であったものが、
時代の趨勢とはいえ、世の中を大きく変革させたことは
日本史上でも希有な出来事ではないでしょうか。
皮肉なことに、尊王攘夷の精神的支柱であった水戸藩は、
尊攘派(天狗党)と保守派(諸生党)の内部抗争に勢力を費やし、
明治維新に際して大きな役割を果たすことができませんでした。
現在の弘道館は元の5分の1の敷地に、
正門や藩主が臨席し文武の試験が行われた政庁、
15代将軍徳川慶喜が幕府瓦解後に
謹慎生活を送った至善堂などが現存し、
国の重要文化財に指定されています。

【プロフィール】
1944年 福井県生まれ。
東京外国語大学スペイン語科(国際関係課程)卒業。
太陽神戸銀行、さくら銀行(現、三井住友銀行)で
20年あまり国際金融業務に携わる。
その後、さくら総合研究所
(現、日本総合研究所)エコノミストを経て、
名古屋文理大学教授、共栄大学教授・副学長、
神奈川大学客員教授を歴任。
専門は国際経済、国際金融。
現在、学校法人中央学院常務理事、
共栄大学名誉教授、松実教育総合研究所理事。

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