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【進路コラム】「人をつくる教育を考える―江戸時代の事例から(その11)」筆者・内藤徹雄

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庶民の学び舎、寺子屋

前回までは日本各地にあった藩校や高名な私塾を
採り上げてきましたが、
これらは武士や比較的恵まれた農工商層の子弟など、
限られた人々のための学校でした。
幕末に来日した外国人は、
日本人の識字率の高さに驚いたといわれています。
こうした教育水準の高さに大きく貢献したのは、
人口の大半を占める一般庶民が学ぶ寺子屋の存在でした。
一説によれば、幕末期の日本の識字率は50%に達したそうです。
同時期の米国や英国は20%、ロシアは10%だったことと比べると、
我が国は世界でも有数の教育水準を誇っていたことがわかります。

寺子屋の起源は中世の寺院における学問教育にさかのぼります。
江戸時代に入ると町中や村落で、
僧侶、神官、浪人、裕福な町人、村役人などが師匠となり、
庶民の子弟に基礎的な教育を施す小さな私塾が増加しました。
社会が安定し商工業が発展するにつれて、
実務的な教育の必要性から、
読み書き・そろばんなど基礎教育の需要が高まりました。
江戸中期以降寺子屋は急増し、
幕末には全国に1万6千を超える寺子屋があり、
江戸市中には1千から1千3百軒も存在していたそうです
(『日本教育史資料』)。

寺子屋として統一した制度や規則はなく、
就学年齢や修学期間、卒業時期もとくに一定しておらず、
およそ9-11歳から13-18歳位の若者が在籍していました。
一校当たりの生徒数は10人から100人とさまざまでした。
寺子屋で学ぶ内容は、いろは、方角、十二支などからはじまり、
「読み書き・そろばん」と呼ばれる基礎的な読み方や習字、
そして簡単な算数の習得から始まりました。
次の段階では地名や人名、手紙の書き方など、
庶民が生きていく上で必要な知識や生活の知恵など、
日常生活に役立つ教育がなされました。
また、寺子屋の多くは男女共学でした。

寺子屋の存在は明治初期の教育の近代化に大きく貢献しました。
明治新政府は近代化を促進するため国民皆学を目指し、
明治5年(1872)に学制を公布して初等教育の充実をはかりました。
実施に際しては既存の寺子屋の教育施設や
人材の活用が可能であったため、
義務教育の普及は大きく前進しました。

【プロフィール】
1944年生まれ。東京外国語大学卒業。
都市銀行で20年あまり国際金融業務に携わる。
その後、銀行系シンクタンクのエコノミストを経て、
名古屋文理大学教授、共栄大学教授・副学長、
神奈川大学客員教授を歴任。
専門は国際経済、国際金融。
現在、学校法人中央学院常務理事、共栄大学名誉教授、
松実教育総合研究所理事。

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