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【進路コラム】「人をつくる教育を考える―江戸時代の事例から(その 5)」筆者・内藤徹雄

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会津藩校日新館の教育

前回、前々回は長州、薩摩の教育を採り上げましたが、
今回はその仇敵であった会津藩の教育をテーマにしました。
会津といえば、まず思い浮かべるのは、
「花も会津の白虎隊」と謳われた
白虎隊の少年達ではないでしょうか。
会津観光のメッカは、今も昔も彼らが眠る飯盛山です。
飯盛山における白虎隊士の自刃や
老若男女が一丸となって戦った、
会津鶴ヶ城の籠城戦の精神を培ったのは、
会津藩の武士道教育にあったといわれています。
こうした会津独特の士風を育くんだのは藩校日新館でした。

1803年に創設された日新館は、
お城の側の上級武士の屋敷が連なる一画に
七千坪の敷地を有し、
規模と教育内容において
江戸期の藩校の中で群を抜いていました。
藩士の子弟は数えの6歳から9歳までは、
近所の仲間で什(じゅう)と呼ばれる組を作り、
そこで漢文の素読や躾、守るべき掟を学んでいました。

「ならぬことはならぬものです」という教えは
この什の掟の精神を見事に表しています。
日新館には数え年10歳で入学し、
論語や孟子等の四書五経の他に、
藩主が自ら編纂した教科書「日新館童子訓」で
武士の生き方について学びました。
学問以外にも、剣術、槍術、弓術、馬術の他、
水練、砲術、柔術等を教えていました。
日新館の教育は一言でいえば、
文武両道に卓越した理想的な武士を造り上げる
エリート教育であったといえます。

しかしながら、優れたエリート教育は、
ややもすると画一的、
教条的そして保守的になるきらいがあります。
幕末の激動期に、
会津藩が薩摩、長州などに政治的敗北を喫し、
軍事面でも近代化に遅れを取ったのは、
エリート教育の負の側面が一因だったように思われます。
こうした傾向は、いつの世にもあることでしょうが、
現代の日本の教育にも相通じる問題ではないでしょうか。

さて、日新館で培われた敢闘精神は、
戊辰戦争を生き抜いた会津の人々によって受け継がれ、
明治以降国家の柱石となった人材を輩出しました。
白虎隊出身の山川健次郎(東大総長)や出羽重遠(海軍大将)、
公用人の秋月悌次郎(五高教授)、
鶴ヶ城に籠城した柴五郎(陸軍大将)など多士済々です。
また、日新館は戊辰戦争で焼失しましたが、
昭和62年に会津若松市河東町に、
昔の日新館を忠実に再現したものが復元されて、
昔日の面影を今に伝えています。

【プロフィール】
1944年 福井県生まれ。
東京外国語大学スペイン語科(国際関係課程)卒業。
太陽神戸銀行、さくら銀行(現、三井住友銀行)で
20年あまり国際金融業務に携わる。
その後、さくら総合研究所(現、日本総合研究所)エコノミストを経て、
名古屋文理大学教授、共栄大学教授・副学長、
神奈川大学客員教授を歴任。
専門は国際経済、国際金融。
現在、学校法人中央学院常務理事、共栄大学名誉教授、
松実教育総合研究所理事。

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