【進路コラム】「人をつくる教育を考える―江戸時代の事例から(その 4)」筆者・内藤徹雄 更新日: 2021年6月18日
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薩摩の藩校教育と郷中教育
前回は吉田松陰の松下村塾で学んだ若者達が、
明治維新の原動力となったという話をしましたが、
今回は同じく幕末明治期に人材を輩出した、
薩摩の教育を採り上げます。
薩摩藩校造士館では、全国各地に存在した藩校と同様に、
立派な武士の育成を目的に、
朱子学を中心とした儒学教育が行われていました。
幕末期に英邁をうたわれた藩主島津斉彬が登場し、
緊迫する内外の情勢に備えて
時勢に対応できる有能な人材育成のため、
西洋の実学を中心に据えた抜本的な教育改革を実施しました。
藩校造士館とともに人材教育で顕著な効果があったのは、
郷中(ごじゅう)教育です。
これは薩摩藩独特のもので、
地域ごとに6歳から23歳までの青少年によって構成された組織、
郷中を中心に行われた集団教育でした。
鹿児島城下の藩士居住地には、
数十戸を一つの単位とするおよそ30の郷中があり、
その中で年長者が年少者の指導・教育を担当しました。
若き西郷隆盛は下加治屋町郷中のリーダーとして、
指導力を磨いたといわれています。
郷中教育では、学問よりも徳育や武芸を重んじ、
知識より判断力の養成に主眼を置いた
実践的な指導が行われていました。
ある事態に遭遇した時にどのように対処するかという
ケーススタディに重きを置いた方法で、
臨機応変の答えが求められました。
例えば、「江戸に向けて出発した殿様に急用があるが、
馬では間に合わない場合どうするか」という問いに、
幼少時の森有礼(後の文部大臣)は
「馬を早く走らせるため、
馬の尻を針でチクリチクリとすればよい」
と答えたというエピソードが伝わっています。
当時の教育の主流は、
四書五経など古典の丸暗記や字句の解釈が中心で、
ややもすれば形式主義に流れ、
実践的な判断力や柔軟性が失われる傾向がありましたが、
郷中教育はそうした欠点を補う優れた方法であったといえます。
薩摩藩では藩校の教育と相まって郷中教育が、
幕末から明治期にかけて
日本の歴史を動かした幾多の人材、
西郷隆盛、大久保利通、森有礼、大山巌、
東郷平八郎、山本権兵衛他多くの逸材を育てました。
顧みて現在の日本の教育を考える時、
実践的なケーススタディを題材に自由に意見を交換し、
多面的な思考を養う場が必要と思われますが?
いかがでしょうか。
【プロフィール】
1944年 福井県生まれ。
東京外国語大学スペイン語科(国際関係課程)卒業。
太陽神戸銀行、さくら銀行(現、三井住友銀行)で
20年あまり国際金融業務に携わる。
その後、さくら総合研究所(現、日本総合研究所)エコノミストを経て、
名古屋文理大学教授、共栄大学教授・副学長、
神奈川大学客員教授を歴任。
専門は国際経済、国際金融。
現在、学校法人中央学院常務理事、共栄大学名誉教授、
松実教育総合研究所理事。