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【進路コラム】「人をつくる教育を考える―江戸時代の事例から(その3)」筆者・内藤徹雄

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吉田松陰の松下村塾

個人が主宰した私塾でよく知られているのは、
吉田松陰の松下村塾でしょう。
私は20代半ばの頃、
松陰を主人公にした司馬遼太郎の小説
『世に棲(す)む日日』を読んで感動し、
山口県萩市郊外の塾舎を訪れました。
「なんと小さくて簡素な建物なんだ」
というのが第一印象でした。
今もなお松陰神社の境内に現存する建物は、
8畳と10畳余の平屋建てで、
この小さな塾舎から多くの人材が輩出したとは
とても思えないものでした。

吉田松陰は1854年(安政元年)、
米国への密航に失敗して幕府の罪人となり、
故郷の萩で牢屋に入れられました。
その後、生家で蟄居の身となり、
その時に近所の若者を相手に講義を始めました。
教育内容は幅広く、漢学の他、歴史、地理に及び、
とくに軍事の観点から情報収集の重要性を説いています。
松陰は再び投獄され、
塾はわずか2年余りで閉鎖されましたが、
この間に10代後半から20代の若者、
50人ほどに教えを授けました。
松下村塾の際立った特徴は、
学問に対する熱意があれば
身分を問わず誰でも塾生になれたことで、
足軽等の軽輩や町人、農民も大勢在籍していました。

教育方針は、
(1)基礎学力を養う、
(2)自己啓発を促す、
(3)生徒との対話を心掛ける、
(4)実践を重んじる、
(5)変革精神を培う、
ことに主眼が置かれていました。
また、塾生のそれぞれの個性を見抜き、
その長所を伸ばすように仕向けたと言われています。
例えば、学問が芳しくない伊藤俊輔(博文)に対して、
「俊輔は周旋(外交)の才がある」と指摘し、
発憤させたという話が伝わっています。

松陰の講義は魂がほとばしるような熱誠溢れるもので、
これが若者の純粋な心に火をつけ、
凡人を非凡な人間に替える力となったのでしょう。
松陰の熱い思いは弟子たちに受け継がれ、
幕末・明治という日本の一大変革期に
身を挺して近代国家の建設にまい進する人材を生んだのです。
高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠は非命に倒れましたが、
伊藤博文(首相)、山縣有朋(首相)、品川弥二郎(大臣)、
山田顕義(大臣)、野村靖(大臣)等が
明治政府の中心になって活躍しました。
あの小さな塾舎から考えると、奇跡といえる程の出来事です。
松下村塾を思い浮かべる時、
私はいつも教育の原点は何かを
教えられているような気がします。

【プロフィール】
1944年 福井県生まれ。
東京外国語大学スペイン語科(国際関係課程)卒業。
太陽神戸銀行、さくら銀行(現、三井住友銀行)で
20年あまり国際金融業務に携わる。
その後、さくら総合研究所(現、日本総合研究所)エコノミストを経て、
名古屋文理大学教授、共栄大学教授・副学長、神奈川大学客員教授を歴任。
専門は国際経済、国際金融。
現在、学校法人中央学院常務理事、共栄大学名誉教授、
松実教育総合研究所理事。

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