「私の好きな言葉・座右の銘(その11)」 筆者・城所卓雄 更新日: 2020年12月18日
「愚公山を移す」(列子:「愚公移山」)
本格言に出あったのは、
高校生時代の漢文の授業の時でした。
内容は、愚公という老人が、
交通の便を良くするために
一族で自宅の前方にある山を崩し始めました。
これを見た人がその場で苦笑したのに対し、
愚公は、「子々孫々続けていけば、
いつかは成功することができる」と発言しました。
この志に共鳴した天帝が、
一夜で山を移したといわれています。
これをわかりやすく換言すると、
「努力をたゆみなく続ければ、やがては成功する」
という意味になります。
筆者が神奈川県立のA高校に入学した当時、
同窓生の先輩にO国連大使
(注:外務事務次官、外務大臣をご歴任後)
がいました。
中学生時代から英語学習には特に力を注いでいたので、
高校生になったとき、
同窓生の先輩の中に大使がおられることに感銘し、
自分も将来は外交官になるという夢を抱くようになりました。
A高校卒業後、東京外国語大学に入学しました。
大学の講義の中に国際法がありましたので、
もちろん国際法を受けるとともに、
卒業論文も国際法にしました。
この国際法の講義を聴講して良かったことは、
ときどき講義の特別ゲストとして、
国際機関の方や大学の同窓生による講義があったことです。
特に、大学の同窓生すなわち先輩による講義を聴くと、
ますます外交官になりたいと思うようになりました。
外交官になるために種々努力しましたが、
結果的には1年間留年して外務省に入省することになりました。
43年間の外交官生活を振り返ってみると、
たくさんの素晴らしい方に出あうことができました。
特に、在外公館に勤務中は、公館の幹部
(大使館では、大使や公使、総領事館では、総領事など)
の仕事振りに加え、
朝早くから、
夜間はパーティ終了後から12時頃まで、
極めて熱心な自己研鑽・学習振りに感銘を受けました。
筆者もこのような上司外交官からの仕事振りや
自己研鑽・学習振りを継承することができたと思います。
ちなみに、筆者が卒業したA高校はあと2年で、
開校120周年を迎えます。
大使となった方の第1号は、もちろんO大使、第2号は筆者、
第3号は現在アジア地域で大使となられ、
合計3名となりました。
本格言に近い英文表言は、過去に例示済みですが、
「Where there is a will, there is a way.」
になると思います。
【プロフィール】
1969年、外務省入省、
在サンクトペテルブルク総領事を経て、
駐モンゴル大使を最後に、2011年11月外務省を退職。
東大の非常勤講師、名大の参与・客員教授・特任教授を経て、
現在、名大の非常勤講師。
モンゴル国立大学より
名誉経済博士号および名誉外交学博士号を授与、
モンゴル国立教育大学ならびに同医科大学より名誉教授、
同科学技術大学より顧問教授などの称号を授与。
2012年より、ライセンスアカデミーの学術顧問。
2020年、外交功労賞として瑞宝中綬章を受章。