「一生、『そこそこ』でいいんですか?」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

勤務先の大学では、夜間開講の社会人向けの大学院として
「キャリアデザイン学研究科」を開設している。
募集定員は、各学年20名と多くはないが、
社会人としてさまざまな経歴を積んだ院生たちが集まってくる。

春学期に開講している講義のなかで、印象に残ることがあった。
文献を読んで、受講者どうしでディスカッションをしていた時のことである。
働くことについての若い世代の意識、上昇志向などは持たず、
「そこそこでいい」という若者のことが話題になっていた。
おそらく日本だけのことではなく、
中国の「寝そべり族」(その後は、さらに「ねずみ族」)や、
アメリカ発で世界に広まった「静かな退職」などとも通底することであろう。

ある院生が、意を決したかのごとく、次のような発言をした。
「若い時はそれでいいかもしれないけれど、一生、そこそこで行くんですかねえ。
それで後悔しないんでしょうか?」と。
この院生は、自ら事業を立ち上げて、経営者として働いている。

教室は、一瞬、静まりかえった。この講義の受講者は、
大学や高校、学校外のNPOなどで若者支援に携わっている人が多い。
僕も含めて、そうした者にとっては、若者の「そこそこ」感覚は、
まずは受けとめるべきものである。
それは、現在のような競争社会、自己責任社会に対する
「無言の」「静かな」異議申し立てであるのではないかとも考えている。
当然、先の院生もそうしたことを理解しないわけではない。
しかし、経営者として何人もの社員を見てきた経験で言えば、
若いうちはそれで済むかもしれないけれど、歳を重ねてから、
それで良かったのかと自問しているような人に何人も出会ってきたというのである。
そうであれば、世間が評価するような価値基準に従う必要はないが、
「自分なりの勝ち筋」を見つけようとすることは大事なのではないか、と。

もちろん、「自分なりの勝ち筋」は、仕事をするうえで見つけないといけないのかとか、
そもそも「勝ち」でなくてはいけないのかとか、
じっくりと議論を交わしたい点は残った。とはいえ、そう思わせてくれるだけの
インパクトのある問題提起であったことは間違いない。やはり、自分とは意見が異なる、
そもそもの発想の仕方が違うような人と議論する機会は、
何者にも代えがたく貴重であり、刺激を受けるチャンスであるとつくづく思った。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。