日常生活及び学校教育の中において、「志(こころざし)」という文言は、死語に近くなってしまいました。
その反面、「夢」や「希望」という言葉は、無責任なくらいに多用されています。学校入学後の決意表明や卒業文集では、ほとんどと言っていいくらいに、「将来の夢」について述べられています。そして、学校関係者も、人生において「夢を持ちつづけること」「夢を追って努力すること」が大切だ、とメッセージを送ります。今の若者が自分の将来に対して抱くべきものは、「夢」であり、大人から求められているのも「夢」であるようです。
こうしたことは、一体いつごろからなのでしょうか。
「夢」を否定するものではありませんが、その「夢」や「希望」の先にあるものは、およそ、「自己のため」という色合いの強い「夢」や「希望」です。
「志」は、文字どおり「士」(さむらい)の「心」(こころ)と書きます。また、その意味は、「大辞林第二版」によれば、「心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。人に対する厚意。人を思う気持ち」です。
「志」は、「世のため、人様のため」という気高い思いや理想がその背景になっているという点で、「自己のため」である「夢」や「希望」とは異なっています。
他者への配慮を持ち、公(社会)のため、人様のために私利私欲を捨て、奉仕の精神を持ち、心に決め、物事を成し遂げようとする決意を合わせ持つことこそが、「志」の意味するものなのです。
現在、義務教育段階において、道徳の時間を活用して、多くの徳目を知識として覚えさせていますが、「志」を育てるためには、まず、人は「社会的存在として成り立っている」という事実を教えなくてはなりません。自己も大切ですが、自己の存在を、日常の社会生活の中から生じている事象や、関係づけの中から理解することこそが大切なのです。
キャリア教育・進路指導のポイントは、「積極的受動態(積極的に受け入れる構え)」を相手につくらせることにあります。
人が物事に向かうときには、身体と心がセットになった「構え」がなくてはなりません。
例えば、勉強において「学ぶ構え」のない者に、何かを教えようとしても、少しも吸収されないものです。同様にスポーツの世界においても「構え」が必要であることは、いうまでもありません。
これからの学校教育では、キャリア教育・進路指導においての知識・経験の豊富さによる「信頼関係」を構築すると同時に、お互いの「構えづくり」が指導の根本的なポイントになるといえます。
古来からの日本の教育は、「構え」から入る教育でした。例えば、寺子屋において正座で師の話を聞く、などということは、現代の感覚では、合理的であるとはいえません。しかし、非合理的に思える「構え」の中に、別の意味の合理性があったのです。
楽な姿勢を取りたいという気持ちを、あえて自己の意思でコントロールし、姿勢を崩さないようにすることで、話を聞く「構え」を作っていく。つまり、自分の身体を自分の意思で律して「構え」のコントロールをしていたのです。かつての日本の教育は、学問の内容と同時に、身体に対する意識の教育も行っていたのです。
この「構え教育」の基礎は、家庭や日常生活における習慣による側面も強いため、家庭での毅然とした「構え教育」が、今こそ必要になってきているといえます。
現在、「夢を持つことはよいこと」という風潮が世の中に満ちあふれ、明らかに非現実的な夢であっても、その夢を他者が否定することは困難な状況にあります。
学校での進路指導においても、教師が「夢」の実現性をチェックするゲートキーパー(門番)としての役割を担わなくなり、生徒に「夢を与える」「夢を見させる」アドバイザーとしての役割が重視されるようになってきています。しかし、いうまでもなく、「夢」とは受動的に叶うものではなく、能動的に叶えていくものです。
本来、大人たちが生徒たちに対してなすべきことは、現在、生徒自身がいかなる状況に置かれているのか、「夢」を叶えるためには、いかなる努力を、どの程度する必要があるのか、を認識させることとなります。そして、それとともに、「志」を持ち、自ら「夢」に向かって、努力する必要があることをも、伝えていかなければなりません。
ともすれば、「主体的な進路選択」という美しい響きの教育理念が、反面、「不本意入学」「終わりなき自分探し」などを多発させているのではないかと、疑問を感じざるを得ません。
空想めいた自己概念(自己評価)を過度に持たせるのでなく、生徒自身に、自分を社会的存在として認識させ、現実の自己(今の自分)と理想の自己(なりたい自分)を思考し、「どのような自分になれるのか」という自分探しと折り合いをつけながら、「何にでもなれるという」チャンスを、自ら納得しながら狭めていく作業を行わせて、将来の自己像を描き直させていく教育が求められています。
つまり、生徒自身が、保護者、教育関係者、大学、企業、地域社会などと関わりを持ち、「現実的吟味」を重ねさせうる「アクティブ・キャリア教育」的視点からのアドバイスか求められているのです。