「論語読みの論語知らず」筆者・大阪国際中学校高等学校 橋本光央

「論語読みの論語知らず」ってご存知ですか。
有名な諺なので、ご存知の方は多いと思います。
私もこの言葉は知っていましたが、長い間その意味するところを
「論語は読んでいるが、その教えを分かっていない」だと思っていました。
そこで、確認のために調べてみたのですが……。
ビックリしました。というのも、その意味は
「論語を読んで内容を理解してはいるが、それを実行しない人」だったからです。
ところが、論語には、こんな言葉があるんです。
「子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博奕なる者あらずや。
これを為すは猶已むにまされり」(『論語』陽貨第十七の二十二)
おいおい、って感じです。だって、
「一日中ダラダラしてたらアカン。博打があるやろ。
博打でもしてるほうが、何もしないよりよっぽどマシや」
と、賭博を推奨しているのですから。
2030年には大阪IRでカジノができるそうですが、
まさに「『陽貨第十七の二十二』の内容を理解して実行している」ように思われます。
でも、ホントにいいのでしょうか。

ここからが本題です。
当たり前のことですが、孔子が賭け事を奨励しているわけはありません。
では、孔子の思うところの博打とは何だったのか。
それは「運否天賦(うんぷてんぷ):良し悪しは天が決める」
「乾坤一擲(けんこんいってき):乾坤は天と地、陰と陽を意味しており、
天地の行方を神に委ねて一か八かの大勝負をする」などの言葉があるように、
古来博打は「天地=神や精霊に運命を賭ける行為」だった、
つまり孔子が「博奕なるもの」と言っているのは、
「政(まつりごと)を行うにあたって神意を問うための行為」のことだったのです。
だから、決して賭け事を勧めているのではないんです。

さて、ここで改めて「論語読みの論語知らず」です。
これは「論語を読んで、その意味を間違えて理解している人が、
間違った理解のままに実行すること」になるのでは。これって、もう最悪です。
こんなことにならないために必要なのは「間違った思い込み」をしないことでしょう。
大切なのは、正しい理解の上に立って正確な判断をする力を身につけ、
それを実行する力を育むことです。SNS等で真偽さまざまな情報が溢れる今、
学校がしなければならないのは、そういう教育だと考えます。

【プロフィール】
1989年より大阪北予備校に勤務、
2007年より大阪国際学園に勤務。
橋本喬木・天野大空のペンネームにてショートショートを執筆。
光文社文庫『ショートショートの宝箱』シリーズ等に作品を提供。
https://yomeba-web.jp/special/ss-cam5/