「複雑系としての教育」筆者・葉養正明

次期学習指導要領の改訂のための審議が始まった。2030年からの実施が予定されている。
今のところ、その概要がどうなるかについては、
文科大臣の諮問(令和6年12月25日)以外には材料はない。
現行の学習指導要領についての肯定的な見方が広がっていることからすると、
新学習指導要領の骨子部分は踏襲されると見たほうがよいようだ。
大臣諮問に記載される「初等中等教育で顕在化している課題」は、次の3点になっている。
(1)主体的に学びに向かうことができていない子供の存在
(2)学習指導要領の理念や趣旨の浸透は道半ば
(3)デジタル学習基盤の効果的な活用

(2)については、現行学習指導要領の実施時期にコロナ禍が世界的に蔓延し、
我が国でも学校の一斉休校が広がったことなどが影響している。

ところで、新学習指導要領でも「主体的対話的で深い学び」が中核理念になるとすると、
「多様な子供たちを包摂する柔軟な教育課程の在り方」や指導技術の在り方が課題になる。
「多様な学び方学校」が強力に推し進められ、かつ「教育の無償化」路線が強まる中で、
「多様なニーズ、多様なキャリアを目指す、多様な資質能力を有する学習者」
を包摂する実践が求められているからである。
現行学習指導要領では、
「社会に開かれた教育課程」「コミュニティスクールの推進」「チーム学校」
などの文言を前面に出し、幅広の学習者を包摂できる学校を目指そうとしている。
しかし、その結末は若者の教職敬遠、教員不足、生徒の私学流出、公立校の撤退の動きなどである。
さらに、各地では少子化が進行し、学校再編、学校統廃合という難題が、
地方教育行政に重くのしかかっている。

本稿で「複雑系」という言葉を持ち出しているのは、
新学習指導要領作成を取り巻く環境が、厳しさを年々増していることを踏まえてのことである。
では、そもそも「複雑系」とは何を意味するか。事典の一つでは、次のように解説される。
「複雑系(ふくざつけい、英:complex system)とは、
相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質
(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかし
その全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。
・・・複雑系は決して珍しいシステムというわけではなく、
実際に人間にとって興味深く有用な多くの系が複雑系である。
系の複雑性を研究するモデルとしての複雑系には、
蟻の巣、人間経済・社会、気象現象、神経系、細胞、人間を含む生物などや
現代的なエネルギーインフラや通信インフラなどが挙げられる」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「複雑系」は、部分の単なる寄せ集まりとして事象を見るのではなく、
イノベーションを経由して部分とは質の異なった全体が生成されたことに着目する。
「チーム学校」などのキャッチフレーズでは、
学校の中に多様な地域人材や地域組織などを取り込むことに目が向きがちで、
教育全体像はどう変化するか、実践への影響はどうかなどの視点が薄れがちだ。
かつ教育界に重くのしかかるのは、こうした複雑系としての教育の誕生は、
教職の高度化・複雑化への期待を招き、
一人一人の教職員の資質改善への期待の高まり、教職の過重負担を
さらに深刻化する可能性があることである。
学級規模の縮小、多様な専門職の増員等にしか
手立てがないようにも思われるが、国の動きは鈍い。

複雑系概念を想起しながら、若者たちがひきつけられる明日の教職を考え、
「公教育の溶解」に打ち勝つ道筋を考えてみたい。

【プロフィール】
教育政策論、教育社会学専攻。大学教員として46年間過ごし、
現在は東京学芸大名誉教授、 国立教育政策研究所名誉所員。
千葉教育創造研究会(隔月1回会合)に40年以上参加し、
さまざまな世代の教職員と「教育のこれから」をテーマに探究を進めてきた。
また、「災害文化研究会」(岩手大学工学部が組織化)や
「縮小社会研究会」(京大工学部等が組織化)に所属し、
縮小社会や大震災のもとでの教育について研究を進めている。
<これまでの経歴や著書、論文等>
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/records/7687