1863年のリンカーン大統領による奴隷解放宣言の後も、
南部では「分離すれども平等」として、差別は存続し続けた。
これに対して、1954年のブラウン判決は、公立学校の人種分離に違憲の判断を下した。
しかし、とりわけ南部では、実質的には人種分離が続いた。
この状況に対して、立ち向かったのは、
1960年に大統領に就任したジョン・F・ケネディであった。
彼は公民権法の改正により、この状況を改善しようとした。
ケネディが凶弾に倒れた後、大統領に就任したリンドン・B・ジョンソンは、
「貧困撲滅戦争」を開始し、1964年の公民権法により法的に差別は禁止された。
しかし、それでも、現実の差別は残り続ける。
それは明白に人種差別とは言えない不可視の構造である。
それは偏見などではなく、人々の合理的な行動の結果として存在する差別の構造である。
例えば、大学入試や就職に際して、成績を重視することは合理的である。
しかし、それまでの差別の中で、教育を受ける機会に乏しい黒人には不利であり、
結果として差別されることになる。それだけにこの構造を打破することは極めて難しい。
公民権法は、単に差別を禁止したのではなく、
積極的に差別是正に取り組むことを政府に要請した。
ジョンソン大統領は、ケネディが目指したアファーマティブ・アクション、
すなわち積極的差別修正条項により現実の差別の是正に取り組もうとした。
それは、ヘッドスタート・プログラムなど今日まで続いているものもある。
ヘッドスタートは就学以前の家庭環境を改善し、
学力などの面で、同じスタートラインに立つことを目的とした。
また、1965年の高等教育法により学生への経済的支援が始まったのである。
これがアメリカの奨学金制度の嚆矢となっていくのである。
【プロフィール】
東京大学名誉教授、現・桜美林大学教授。
主な研究テーマは「高等教育論」「教育費負担」「学生支援」「学費」。
奨学金問題の第一人者として知られ、
『大学進学の機会』(東京大学出版会)、
『進学格差』(筑摩書房)など著書多数。
