「よく分かる授業」筆者・大阪国際中学校高等学校 橋本光央

最近「探究」という言葉をよく耳にするようになりました。
「自ら問いを立てて、それに対して答えていく学習」のことです。
しかし、体系的な知識を得るトレーニングもせずに
「さぁ、自分の頭で考えよう」と言ったところで、
新しいことを考えるのではなく、知っている答えに向かって
答えを導いてしまいがちになってしまいます。
つい、自分の知っている答えに合わせて、そこに至る説明を作ってしまうからです。

分かり易い授業って、いいですね。
そんな授業を受けると、さぞかし「勉強した」と思うことでしょう。
では「分かり易い授業って、どんな授業?」と言えば、
多くの場合「分かったつもりになる」授業だったりします。
例えば、「光は、粒子と波の両方の性質を持っている」
と教われば分かったような気になるし、
「大化の改新は646年だった」と教われば「そうだったんだ」と思う。
つまるところ、答えを知ることが勉強になってしまっているんです。
しかし、本来はとても難しいことなのにそれを教えず、
「大切な過程を省いて単純化した知識」を教え、
そして「知ることによって、その本質まで分かったつもり」
になっているだけの勉強なんて、社会では役に立ちません。
なぜなら、そこには‘考え’がないからです。

『知れるを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり』(孔子)
『知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が
人間たちの中で最も知恵ある者である』(ソクラテス)
いわゆる『無知の知』、すなわち、
「知らないということを認識できた人は、そこから勉強する」という意味です。
これに対して、分かり易い勉強で
「分かったつもりになっている人」の場合は正反対です。
そういう人たちは考えることなく、答えに沿った、
結論ありきの仕事をするようになってしまいます。
これこそが、分かり易い勉強の弊害ではないでしょうか。

「今はまだ理解できないかもしれないけれど、この先には素晴らしい知が待っている」、
そんな興味を抱かせる授業、もっと勉強したいという思いを膨らませる授業、
それが「とても良く分かる授業」になると私は考えます。
そして、それが「自ら問いを立てて、それに対して答えていく学習」
につながるに違いありません。

【プロフィール】
1989年より大阪北予備校に勤務、
2007年より大阪国際学園に勤務。
橋本喬木・天野大空のペンネームにてショートショートを執筆。
光文社文庫『ショートショートの宝箱』シリーズ等に作品を提供。
https://yomeba-web.jp/special/ss-cam5/