「『支援』流行りの影で」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

理事を務めている一般社団法人では、
定期的に「大学キャリア教育講座」を開催している。
大学でキャリア教育の科目を担当する非常勤講師の方や、
キャリアセンター等で学生支援を担っているキャリアコンサルタントの方々などが
主な対象である。

この講座のなかでは、受講者に向けて、
必ず以下のような問いを出してみることにしている。
──端的に、この20年間、大学におけるキャリア支援・教育は、
 目まぐるしく拡充されてきた。
 ガイダンス、説明会、セミナー、個別相談の実施、キャリア教育科目の設置など、
 手を替え品を替えして、大学は学生に対する支援に精を出してきた。
 しかし、その結果、何が起きたのか。
 学生たちはどんどん受け身になって、自分で判断したり、
 自分から行動したりしなくなったのではないのか。
 つまり、大学が「お世話モード」で「学校化」すればするほど、
 学生の側は「指示待ちモード」で「生徒化」していった。
 こんな状況があるとすれば、私たちはどうすればよいのか、と。

受講者からはさまざまな意見が出されて、たいへん興味深い。
ただ、傾向として言えば、
「より支援を強める」「支援の仕方を工夫する」といった方向の意見が圧倒的である。
大学に対する保護者の期待を想像し、
生き残り競争のもとで実績を残したい大学の意向を斟酌するからであり、
懇切ていねいに支援しなければ本当に動けない学生がいるという現実にも
思いを致すからである。それゆえ逆に、
「学生に任せる」「時には突き放すことも必要」といった意見はなかなか聞かれない。
「正直、やりすぎでは」「手をかけすぎかも」といった本音は漏れてきたとしても、である。

考えてみると、大学に限らず、教育現場が「支援」流行りになって、かなり久しい。
寄り添う、共感する、学生側の事情を理解する、伴走するといった言葉が跋扈するなかでは、
強い指導に踏みきるには勇気が必要になり、学生に任せたり、
自分から動くのを待つといった姿勢は、周囲からは無責任にも見なされかねない。
もちろん、教育現場には<教師―生徒><指導―被指導>という、
権威的なタテ関係が必要だなどと言いたいわけではない。
教育の場で「支援」が重用されるようになったのには、それなりの理由も背景もある。
それはわかっている。しかし、支援というソフトで当たり障りのない言葉を隠れ蓑にして、
「教育」の場において本来なされるべきことが躊躇されているのだとしたら、
それはどうなのだろう。日々、考えさせられている。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。