「『自分』発、『社会』行き」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

勤務先の大学は、12月中旬が卒業論文の提出期限で、
直前の1週間は、ゼミ生からの書き方や内容についての問い合わせ対応やら、
各自の草稿の最終的なチェックやらで、かなり四苦八苦していた。
こちら側からすれば、「何を今さら」ということもあったのだが、
締め切り直前のこの期に及んで、「自分で考えて」と突き放すわけにもいかない。

結局、疲労感とやり遂げた感をない交ぜにしたような感覚で、
今年も無事に卒論提出という「修羅場」を乗り越えることができた。
出てきた卒論のテーマをいくつか挙げてみると、こうなる。
──若者の恋愛ばなれ、推し活、コミュ力、生きづらさ、
不登校経験、フツーから外れたキャリア……。
近年の傾向は、だいたいこんな感じである。
もちろん、インクルーシブ教育や商業科教育といった、もっと堅いというか、
学校教育寄りのテーマを選んだ学生もいるのだが、それらは少数派である。
多くの学生のテーマは、大きく括れば「当世若者気質」と言ってもいいか、
若者(世代)論的な内容、もっと焦点化すれば
「今どきの若者のしんどさ」という論点に集中している。

なぜ、そうしたテーマが選ばれるのか。
そのこと自体が、若者研究の立場からすれば、興味深い論点である。
ただまあ、雑駁に理由を述べてしまうと、「今どきの若者のしんどさ」という論脈は、
筆者のゼミの集まってくるような学生にとっては、
もっとも「自分ごと」として考えやすいテーマの宝庫なのである。

筆者自身も、日頃の指導では、
どこかから借りてきたようなテーマで卒論を書いても仕方がない、
自らが切実に知りたい、何としても探りたいと思うようなテーマを定めろ、
と口を酸っぱくして言っている。実は、その結果が、先のようなテーマ群なのである。
しかし、同時に、切実に自分ごとと思えるテーマを選べたとしても、
問題の背景や要因を、個人の能力や特性、資質、努力といった
「自己責任論」の世界に幽閉してはいけないということも、同じくらい、
こちらは口が裂けそうになるくらい強調している。
そういう意味では、しっかりと出立できるためには、「自分」発でいい。
しかし、列車は、「社会」行きであるべきだというのが、
筆者の卒論指導のねらいであり、最大の眼目なのである。

もちろん、提出された卒論が、筆者が願うようなものになっているかどうかは、
個々に精査していかなくてはならない。ただ、それ以上に、考えてしまうことがある。
学生たちは、こうした苦労の末に書き上げる卒論を通じて、
4年間の学びの集大成を仕上げるよりも何ヶ月も前に、
実際には、自身の卒業後の進路を決めている。
日本的な新卒採用(就職)の仕組みからすれば、当然のことなのであるが、
進路選択やキャリア形成の支援という視点から見たときには、それって、どうなのだろうか。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。