「ゼミの共同研究から見える今どきの学生?」筆者・児美川孝一郎

秋学期のゼミは、2年生と3年生の合同クラスで
共同研究を実施することに決めている。
開講から3週間ほど経った10月後半には、
研究テーマを決めるための議論が佳境を迎える。

筆者の専門は教育学であり、主に青年期教育やキャリア教育を研究テーマにしている。
ただ、所属しているのはキャリアデザイン学部であり、
ゼミに入ってくる学生のなかには、若者問題や若者のキャリア形成には関心があっても、
学校教育に関しては大して興味がないという者もいる。
いや、正直に書くと、近年ではそうした学生が大幅に増えている。
一方では、教職課程を履修して、卒業後には教師をめざす学生もいるが、
他方では、高校までの教育のことなんて、
もう二度と考えたくないという学生もいないわけではない。

そんな具合なので、共同研究のテーマ決めは、なかなかの難儀である。
ただ、逆に、教員としては、興味関心が同質な学生たちではなく、
これだけ多様な関心や問題意識を持った学生が、
同じ一つのテーマのもとで探究し、研究をまとめていくことじたいに意義があると考えている。
そして、全体のテーマは、議論の末に一つに決めざるをえないとしても、
そのテーマに迫るためのアプローチには、
個々の学生の関心や問題意識が活かせるように配慮している。

こう書いていて、あらためて認識させられたことがある。
考えてみれば、この10年ほどの間、
いわゆる学校教育の問題を共同研究のテーマに選んだのは、たったの一度しかない。
6年ほど前に、大学問題をテーマにした時のみである。
それ以外は、広い意味での「若者論」を扱ってきた。
もちろん、若者論や若者問題に迫ることに決めた年度でも、
学校教育の課題や「学校に何ができるか」という観点からの
アプローチをするサブグループができてはいた。
少数派であっても、そうした問題意識を持つ学生も存在したからである。
とはいえ、そんな学生の数も、しだいしだいに減ってきている。

ここ数年、教員採用試験の受験者減や倍率の低下が話題になり、
実際に教師の未配置が起きるような教員不足も社会的な問題となっている。
それはそれで、深刻な状況であり、対処が急がれる。しかし、冷静に振りかえってみれば、
こうした近年の事態よりもずっと以前から、学生たちのあいだでは、
学校や教育、あるいは教師という存在の存在感が地盤沈下しはじめていたのではないか。
それは、卒業後の進路として教職を候補にするか否かといった狭い話ではなく、
学校や教育ということへのそもそもの関心の希薄化という問題である。

教員採用試験をいじるとか、免許取得に必要な単位数を減らすとか、
そんな小手先の対応が通用する世界ではないなと、つくづく考えてしまう。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。