人口減少が止まらない。
地球の持続を前提にして『成長の限界』を提起したのはローマ・クラブであったが、
報告書が発表された1972年からはや50年以上たった。
筆者が参加している「縮小社会研究会」は京都大学工学部有志によって
2008年に立ち上げられたが、その趣意書には次のように書かれている。
『昨今、産官学で「持続型発展のための」と銘打った技術開発や研究がもてはやされている。
しかし、本当に持続型の発展は可能と問うと、資源枯渇にせよ、あるいは環境問題にせよ、
その将来に対していささか悲観的にならざるをえない。
楽観的に持続型発展を推し進めると、世界は資源を奪い合う弱肉強食の修羅場と化し、
やがては日本も弱肉のグループに入ることにならないともかぎらない。
修羅場的な破局を回避するためには、「エネルギー消費、ひいては経済規模、の縮小」を
真剣に考える必要があるのではないだろうか。
縮小というと、人は『江戸時代に戻るのか』と問うであろうが、
われわれは、あえてイエスと答えなければならない事態を将来迎える、と危惧する。
(中略)
このような観点を共有して、われわれは、
縮小時代の技術と社会を広範囲の視野から考える場を持ちたいと思います』
地球の持続を前提にすると、食料生産の有限性などに由来して
地球上の人類のボリュームには限界があり、
右肩上がりの成長主義・開発主義で未来を切り開くことはできない、という。
我が国の合計特殊出生率の長期的な落ち込みは、
地球の持続の観点に立つとむしろ福音になる、ということになる。
すでに地球上には80億人が居住し、
かつ、南半球では人口爆発が持続していることからすると、
我が国をはじめとした先進諸国の人口減少は容認されるべきもの、というわけである。
しかし反面、人口減少が加速している諸国では、
少子化、生産年齢人口の縮小、高齢者層の激増、医療や社会保障費の膨張などに
どう対処するかという、短期的な諸問題が浮上している。
地球全体としての人口膨張を抑えることの半面として、
開発型経済に代替する社会経済構造の創造や教育、医療福祉、居住環境等の
社会インフラの再構築が問われることになる。
小中学校、高校の統廃合問題や
大学の再編(募集停止、短大の4年制化、私学の公立化等)が浮上しているのは、
以上のような現実に直面してのことである。
では、そもそも我が国の人口はどの水準が適正なのか。
少子化を容認するとして、20歳代前半までの年少者の人口はどの程度の規模になり、
教育や研究の拠点施設はどのように配置されればよいか。
次回はまず「適正人口」という概念がこれまでどう論じられてきたか、
ローマ・クラブの『成長の限界』に遡りながら考えてみよう。
【プロフィール】
教育政策論、教育社会学専攻。東京教育大・筑波大で勤務を始めて以降、
東京学芸大、国立教育政策研究所等を経由し、
現在は東京学芸大名誉教授、 国立教育政策研究所名誉所員。
日本教育行政学会、日本教育社会学会、日本情報教育学会のほか、
千葉教育創造研究会や縮小社会研究会(京大工学部中心)、
災害文化研究会(岩手大工学部中心)、に参加しています。
