「読み書き計算の将来」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

学校における一人一台端末やICTの活用をテーマとする
市民の方々の学習会に参加していて、興味深いことが話題になった。

話の発端は、デジタル化が進んで以降、
「筆圧が弱く、這うような薄い文字しか書かない子どもが増えている」
と漏らした小学校の先生の発言だった。
すぐさま保護者の方々を中心に、「うちの子も」とか「ある、ある」といった賛同の声が続いた。
筆者も、発言はしなかったが、「確かに、大学生にもいるなあ」と思ったりした。

そんな折、ある方が次のような発言をして、会場にいる者は、一瞬はっとさせられた。
──今の子どもたちが社会に出たとき、
はたして紙に手書きをしなくてはいけない場面なんて残っているのだろうか、と。

確かに、現在の日常生活においても、紙に手で文字を書くような機会は激減している。
サインが必要なときでも、電子署名で済ませることもできる。
テクノロジーが飛躍的に発展し、それこそ「Society5.0」が到来したとき、
人が手で文字を書かなくてはいけない場面は、はたして残っているのだろうか。
技術的には、今よりも手間をかけずに、
すべてがデジタルで済むような社会になっている可能性も高い。

同じようなことは、書くことだけではなく、読むことや計算することにも当てはまる。
音声による読み上げソフトがあれば、自分で読めなくても、情報は伝わってくる。
電卓のような機能は、スマホどころではなく、
ウェアラブルな端末のどこにでも搭載されているかもしれない。
社会生活の中で、いちいち自分で読んだり、計算したりする必要は無くなったりしないのか。

3Rs(読み・書き・算)は、近代以降に公教育が成立したときに、
どこの国においても、基礎学力の核とされたものである。
だから、子どもには3Rsを覚え、習得することが求められた。
しかし、将来的には、そんなことは求められなくなるのか。
つまり、読み・書き・算を、自分でアナログな形でできなくても、
デジタルで処理する方法を知っていて、
そのスキルさえ持っていればいいということになるのだろうか。

正直、頭を抱えてしまう。人間の脳は、五感を活用し、
指先を動かしながら発達するという科学的な主張もある。
デジタルだけで人間の思考がどこまで発達するのかは、未知数なところもある。
最新テクノロジーが高度に発達した社会において、
個人が身につけていることを求められる能力(学力)とは何なのか。
そんなことを考えざるをえない時代が、もうすぐそこまで来ているのではないか。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。