進路コラム 英語学習を振り返って(その2) 筆者:城所卓雄

進路コラム

英語学習を振り返って(その2) 筆者:城所卓雄
2019年5月15日(水)

1964年、東京外国語大学に入学しました。英語を学習するのは当然でしたので、他の外国語も学習しようと思っていました。そこで、同じアジア人として、アジアの言語を勉強したいと思い、いくつかあるうちからモンゴル語を選びました。

大学でモンゴル語を学習し始めたら、ロシア語が必須であるとは知らず、大学1年生から、3つの外国語(モンゴル語、英語、ロシア語)の学習が始まりました。これは3年間続きました。

さらに、外務省に入ってからは、中国語の初級と中級を学ばさせられました。
在モンゴル大使館勤務となり、モンゴル語をさらに学習したのですが、モンゴル語の中に、中国語起源の言葉が少なからずあることも発見しました。

入学して半年後、東京五輪が開催されました。
モンゴル語を学んで数か月でしたが、モンゴルが初めて参加する五輪大会であったため、モンゴル五輪代表団を横浜港に出迎えに行きました。
その選手団の中に、レスリングのムンフバト選手がいました。

2009年、私が大使としてモンゴルに着任した後、横綱白鵬関とお父様を大使公邸に招待しました際、私が「1964年、東京五輪に参加するモンゴル選手団を横浜港に出迎えました。
ムンフバト選手にもお会いしました」と話しました。
すると、お父様は「そのムンフバト選手は、私です。
東京五輪ではメダルは叶わなかったのですが、次のメキシコ五輪では、モンゴルにとって初めてのメダルとなる銀メダルを獲得しました」とおっしゃられ、とても驚きました。

●大学時代の外国語の勉強振り
第1外国語としてモンゴル語(ロシア語も必修)を、
第2外国語として英語を、
第3外国語としてロシア語をそれぞれ学習しました。
外務省に入省後、在外勤務地にて、
大学時代に学んだ言語だけが任国・任地になるとは、
全く想像もしていませんでした。

第1外国語であるモンゴルの大使館には、通算3回計9年間勤務し、
三等・二等書記官、参事官を経て最終ポストは大使でした。
第2外国語である米国には、ワシントンD.C.の大使館で二等書記官、
サンフランシスコの総領事館(以下、「シスコ総領事館」)で領事、
シカゴ総領事館で首席領事として、通算3回計7年間勤務しました。
第3外国語であるロシアには、
旧レニングラード(現サンクトペテルブルク)総領事館で
首席領事および総領事として2回勤務し、
モスクワの大使館で一等書記官及び参事官として2回勤務し、
通算4回計10年間勤務しました。  

英語学習では、中学校・高校時代の体験から、引き続き力点を入れて学習しましたので、それだけの英語力があるのですから、当然英語教師の免許を取るべきであろうと考えました。そこで、母校のA高校での教育実習を経て、英語教員免許を取得しました。英語学や英語教授法などの修得は、当然の事でしたが、同時に教育概論、教育原理、教育心理学を修得しました。
外務省入省後、特に在外公館勤務時代の米国、ロシア、モンゴルで、現地の中学校、高校、大学から講演・講義依頼がたくさん入りましたが、この教員免許を取得しておいたことが、後日これほど役に立つとは、思っても見ませんでした。換言しますと、学生・生徒のみならずスタッフを指導する立場におられる方は、その分野の教員免許を取得すべきと考えるようになりました。

●大学時代の外務省勤務に向けた流れ
東京外国語大学に入学してすぐ、新入生の歓迎会がありました。そこで、何名かの上級生から、ある歌を披露されました。その歌詞には、「外語出る時には、一番で出たが出たが、(途中省略) 末は大使か総領事」と披露され、私には、「卒業後には、大使や総領事と言う進路・選択肢もあるのかな」と認識・納得することができました。
・大学の3年生になり、国際関係課程に進みましたので、国際法や国際私法を中心に熱心に学び、さらに経済関係の講義を聴講しました。国際法には大変興味を持ち、大学の講義用のテキストに加え独自に国際法のテキストにも集中して学習しました。卒業論文は、国際法にしました。この国際法の講義には、時々、同大学の卒業生で外務省にて勤務しておられる先輩や外国人で国際機関スタッフなどによる特別講演がありました。特に、K先輩による特別講義には大変感銘を受けましたので、外務省勤務に愛着を持つようになりました。さらに、筆者が育ち・生活をしていたK県の知事は、筆者が小学生から大学生になるまで、ずっとU知事でしたが、元外交官でとてもセンスの良い知事でしたので、筆者の小学校・中学校・高校・大学時代には、憧れの方でした。また、高校時代には、A高校出身で唯一の外交官であったO氏が、外務大臣や国連大使を歴任されておられ、K校長先生より紹介・披露がありましたのに加え、A高校の同窓会名簿に掲載されておりましたので、外交官への憧れがますます強まって参りました。
・大学3年生の時、在学中のT大学のお二人が外務省の試験に合格し、外務省への入省が決まりました。このお二人が、T大学内に「外交研究会」を創設し、外務省に勤務したい後輩達に、指導をしてもらえることになりました。この「外交研究会」に入会するためには、かなりきつい試験に合格しなければならなかったのですが、幸い無事合格することができました。そして、お二人より、約半年間、厳しい特訓を受けました。その内容は、国際法や経済学のみならず、面接の際の対応の方法などについても丁寧に教えてくれましたので、大学4年生を留年し、翌年の外務省の試験に合格し、憧れの外務省に入省することができました。残念だったのは、この外交研究会を創設したU先輩とY先輩のお二人は、体調不良から、外務省を離職お亡くなりになられ、総領事職や大使職の就任はありませんでした。
・1969年4月1日、外務省に入省したのですが、当時は、大学紛争があちらこちらで発生していたため、3月までに卒業式は行われず、ある日、突然、6月28日付けの卒業証書が自宅に送付されて参りました。そんな次第で、外務省入省時から約3ヶ月間は、大学中退扱いにされていました。

(ライセンスアカデミー・大学新聞社 城所卓雄)

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