小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想 「2019年新年・今こそ古典を学ぼう」 筆者:堰免 善夫

小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想

「2019年新年・今こそ古典を学ぼう」 筆者:堰免 善夫
2019年1月4日(金)

 新年を迎えた。1月元旦。昨年の夕陽が、今年の朝陽になって、東の空に昇る。
 「たん」は太陽が地平線上に現れる時のこと。元旦は「初日はつひ」とも言う。しかし、次の日、1月1日の夕陽が1月2日の朝陽になって、また東の空に昇っても、それはもう「元旦」とは言わない。

 元旦は1年に一度だけの「特別な朝」である。ゆえに「正月」は昔から独特な空気が漂っていた。正確に言えば、「昔」とは「古典の世界の大昔」のことで、「明治以降の昔」のことではない。だが、それでも、約半世紀前、筆者が子どもの頃には、確かに「正月」は特別な日であった。

 時代が平成となり、近現代がますます現代になってからは、年毎としごとに非日常であった「正月」は失われ、平常生活とたいして変わらない休日となってしまった。このまま年を経てゆけば、近い将来「正月」も、そして「元旦」も特別でなくなるだろう。

 「正月」を支えるものは「古典の概念こてん がいねん」である。日本人の心から「古典」が喪失そうしつされれば「正月」が亡失ぼうしつの危機におちいるのは当然である。
 昔を知らない世代が交代を重ねれば、「正月」が失われるのは、やむを得ぬこととしてもよい。だが、「古典を失うこと」は、そんなことの比ではない。実に大変なことなのである。現代人が「古典の心」を失うことは、「未来に生きるべき正しい指標しひょう」を失うに等しい。事態は、ことのほか重大だ。しからば、日本における「古典」とは何か。「古典」の本質とは何か。ここに新年を迎え、あらためて考察を深めてみよう。

 日本固有・独自の「日本文化」とは何か、しばしば問題になる。日本文化は「らっきょう文化」との考えもある。「らっきょう」は芯がないので、ひと皮ひと皮いていけば、最後は何もなくなる。近代の西欧文明化はもとより、仏教も漢字も大陸から伝来したもので、すべて外来文化である。それらを全部取り去れば、最後は何も残らない。つまり、「日本固有の独自文化」などない、との考えである。
 しかし、筆者の私自身は、日本独自の「固有の文化」はもちろん「ある」と考えている。「武士道」を筆頭に「茶の湯」「能楽」など、外来ではない日本発祥の文化は多々ある。「茶」は中国伝来であるが、「茶道」「茶の湯」は日本で生まれたものである。

 これらの日本文化の「核」となるものは「古典の散文」、正確に言えば、「平安朝の女流かな文字散文」であろう。それらは基本を和歌においている。「歌物語」は無論のこと、「物語文学」の文体の基本は和歌にある。
 古文の日本語表現は、しばしば主語が曖昧あいまいで、しかも受動的である。このことは、助動詞「る(ゆ)」「らる(らゆ)」の使用を見ればよくわかる。意味は「受身・自発・尊敬・可能」であり、その用例とともに古語辞典に明記されている。これらの助動詞は、「受身」が基本となる「受動的な感覚表現」である。「自発(自然とそうなる)が基本的な意味で、受身・尊敬・可能の意味が派生した」との説もあるが、ここでの論には、それはあまり重要ではない。

 「る(ゆ)」「らる(らゆ)」の受身・自発・尊敬・可能が「大いなる受動」であることは、いったい何を意味しているのか。そして、主語が曖昧あいまい、あるいはないのはなぜか。それは、古き和歌・散文表現が、「常に何かから、受身・自発・尊敬・可能的に受け止めている感覚」によっており、これが古典というものの概念の基軸なのである。
 
 上代日本文学者である多田一臣ただかずおみによれば、古文の隠された主語、そして受身発生の始原しげんは、「人間世界の対極にある『この世界を支える絶対的な根拠』、つまり人々が『神』と呼んでいるもの」に他ならないという(『おかしいぞ!国語教科書 ―古すぎる万葉集の読み方』(梶川信行編2016年/笠間書院)の第T章『国語教育の危機』より)。換言かんげんすれば、『神』とは、外界、向こう側、自然、宇宙のいいである。ゆえに、和歌や、かな散文の表現根拠は、「自然界・宇宙(神)」にある。これを「隠れ主語」にしているからこそ、人間界の表現は「受身」であり、「自発」であり、「尊敬」であり、「可能」であるということになる。
 ところが、近現代の日本人はそうではない。「自己の自意識を中心思想」としているがゆえに、近現代の視点、近現代の物差しによって古典を受け止め、評価している。日本人ばかりではない。地球世界の人類は、「近代自我、人間中心の自意識」により、社会を変化させてきた。そして、本来この世界には存在しなかった「核物質」まで生み出し、制御も廃絶もしない。人類は自らを不安と恐怖に陥れている。

 近現代人は、いつから自然や宇宙の「偉大な何か」に畏敬の念を抱かなくなったのか。グローバリゼーション(globalization)と言いながら、人々はその「立体的世界観」の中芯を持っていない。
 科学技術や文明が進展した今こそ、人間界の向こう側の「自然・宇宙の偉大な力・法則」に対する「畏敬の思想」を取り戻さねばならない。とりわけ日本人は、千年ほど以前までは「古典の心」を持っていたのである。一日も早く、その「古典の心」を取り戻すことが喫緊きっきんに求められる。

 小難しいことは置いて、演繹的えんえきてきに言おう。キリスト教の神も、イスラム教の神も、仏教の仏もすべて「宇宙(および人間内部の心的宇宙)の偉大な法則」に統合されるべきであろう。
 ことに日本人は、「古典の心」を崇拝すうはいするべきである。そのためには、小・中学校はもとより、高校・大学でも、理系・文系にかかわらず「古典」の授業を必修科目として復活させ、すべからく「古典の心」を体得せしめるべきである。
 2019年、新年、我々は今こそ「古典」を学ぼうではないか。

著者プロフィール

堰免 善夫 (せぎめん・よしお)
長野県生まれ。中央ゼミナール(東京・高円寺)で国語科講師として活躍。小論文、現代文を担当し約40年間勤務。中央ゼミナール監事・役員・小論文主任講師の他、大学新聞社就職コンサル塾副塾長、東京国際学園特別顧問を兼任。
近年は全国の高等学校での高校生、保護者、高校教師対象の講演だけでなく、大学生向けの就職支援の講演会にも登壇している。


◇著書
『古の琴歌(いにしえのことうた)』 (小説作品集) 1987年5月
『知見の旅路』 (思索論文集) 1997年5月
誰にでも書ける 小論文学習の決定版 最も効果的な指導・学習法』 (大学新聞社) 2013年3月
『我が心の久遠・哀愁のヨーロッパ・憂愁の京都』 (紀行随想) 2013年12月

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