「新年・正月歳時記」
2017年1月1日(日)
2017年の新年が明けた。新しい年のスタートには、やはり身が引き締まる。特に筆者の私自身は今年7月に70歳を迎えるので、感慨は無量である。この際「正月」について「歳時」を考察し、思いを新たにせんものと思う。

「睦月」(1月)を表す言葉は、「初春」「初日」「松の内」「七草」「月冴ゆ」「寒の入り」「雪明り」「霜日和」「寒夜」「冬枯れ」など様々ある。また「睦月の風物詩」には、「初日の出」「正月」「初詣」「歌会始」「鏡開き」がある。
正月とは1年の最初の月のことで、本来は1月31日までを意味していた。その正月の草花は「水仙」「金魚草」「黄梅」「千両」「万作」である。そして正月旬の食材は「ふきのとう」「小松菜」「大根」「長芋」「伊予柑」「金柑」「真鱈」「平目」などである。
1.元日・元旦
1月1日を「元日」と言い、元日の朝を「元旦」と言う。「旦」は地平線から昇る太陽の意である。
2.門松
神様を家に招き入れるための目印。常緑の松に、真直ぐに伸びる竹を組み合わせて、おめでたい意を示す。
3.お屠蘇
屠蘇散という、山椒、桔梗、肉桂などの漢方薬を調合し、日本酒に漬け混ぜた薬酒。「蘇」は悪鬼のことで、「屠」は退治することである。お屠蘇を飲むことで1年間の邪気が祓われる。
4.おせち料理
元来は「お節供」と呼ばれる五節句に神に供えた料理のこと。重箱に詰めるのは「めでたさを重ねる」願いを示す。一の重から与(四)の重が正式であるが、略式三段重ねが現代では一般的。
5.雑煮
年神様に供えた餅を、「若水」(元日の朝最初にくむ水)で煮た料理。関東では、角餅にすまし汁仕立て、関西では、丸餅で味噌仕立ての煮汁にする。
6.初夢
元日の夜から2日の朝にかけて見る夢。この夢で1年の吉兆を占う風習による。「一富士」「二鷹」「三なすび」が縁起の良い夢。富士は「無事」、鷹は「高く」、なすびは「事を成す」を意味する。
7.七草粥
春の七草が入った粥を食べて無病息災を願う。冬場に不足しがちなビタミンを補い、正月の暴飲暴食で疲れた胃を休める効果もある。1月7日は「人日の節句」とも呼ばれる。
七草は、@セリ Aナズナ Bゴギョウ Cハコベラ Dホトケノザ Eスズナ Fスズシロ。
以上が「正月歳時記」であるが、その他に正月の気分を盛り上げる「伝統遊技」がある。「凧揚げ」「独楽回し」「羽根つき」「福笑い」「歌留多」「双六」「花札」「百人一首」など。これらは、江戸時代に正月の遊びとして定着した。
これらの正月に関する様々な事柄は、年々に薄れ、このうちのいくつかは、すでに忘れ去られてしまっている。筆者の子供の頃に比べ、約半世紀を経た現在では、正月の雰囲気は随分と様変りしてしまった。現在では正月と言えば「箱根駅伝」「サッカー天皇杯」「ニューイヤー・コンサート」などが、まず浮かぶであろう。様変りの主な原因としては「人情変化」もあるが、なにより「季節変化」が大きい。昔は明確な「春夏秋冬」の境があった。「季語」が定められ、古典文学にあっては、自然界の推移に敏感に反応しつつ「四季の歌材・俳材」として、折々の動植物をとり挙げて、人情の機微を繊細に表現した。
21世紀の現在の日本では、地球温暖化により、四季が崩壊しつつあり、自然環境も大きく変化して、四季に応じた動植物も姿を消しつつある。
まことに残念なことであるが「正月」の独特なムードは、もはや消滅の危殆に瀕している。“もういくつ寝ると、お正月!お正月には凧あげて、独楽を回して遊びましょ。早く来い来いお正月!”の唱歌の情景はもはや過去の物である。

70歳を迎える筆者は、あと何回、正月を迎えることができるであろう。そんな感慨にふけりながら、かつての「思い出の正月」「心に残る正月」を懐古してみる。
1.少年期・信州上田の正月
故郷では毎年「雪の正月」であった。早朝、年賀状配達の郵便局員のため、門前の雪掻をした。家族で炬燵を囲んで、母が作った雑煮を食べる。おせち料理の他は、自家製の「野沢菜漬け」「沢庵漬け」「干し柿」そして「林檎」「蜜柑」「落花生」「干し芋」などがあった。外の広場では近所の友達と「凧揚げ」「独楽回し」などで遊び、家の中では兄弟姉妹で「双六」「花札」「歌留多」などを楽しんだ。それらは今となっては懐かしい良き思い出である。今はその母も父も亡い。
2.青年期・佐渡ヶ島の正月
学生時、勉学に励んだ苦学時代、全てに一番困難な時、佐渡ヶ島の民宿小屋で正月を迎えたことがあった。
雪まじりの寒風吹きすさぶ荒海「厳冬の佐渡」その時、それは凍えるばかりの寒さであった。
新しい年が来たのに陽も出ないどころか、わずかの晴れ間すらない陰鬱な、灰色に閉ざされた世界であった。賽ノ河原も加茂湖も真野御陵も金山宗太夫坑も、そして塚原三昧堂戒壇塚も、すべてが暗黒の中に、眼も開けられない程の朔風吹き荒れる佐渡の正月であった。私はその時、思った。一筋の光明さえ見えない未来に、「この遠流の地で何度も正月を過した、『世阿弥』『順徳上皇』そして、『日蓮聖人』を見よ!」と。「決して自己に屈してはならぬ!」と決意した。
今、振り返って、しみじみ思われることは、この時佐渡で過した、あの青年の日の「正月」こそが、その後の私の人生の原点となっているということである。

3.盛年期・志摩英虞湾の正月
大学受験予備校の講師となってから20年あまり、50歳の頃にはひとまずの成功をみた。ひとときの安穏を感じ、正月を伊勢志摩賢島の「志摩観光ホテル」で過した。
その年、初めての「小説作品集」出版の予定があり、その最後の原稿書きの目的も兼ねて、かの有名な小説『華麗なる一族』(作・山崎豊子)の舞台となった「志摩観光ホテル」に年末年始滞在することにしたのである。この年の正月は、私の人生で一番晴れやかで豪華な、元日であった。
快晴が続き、それは美しい大晦日の夕焼け。そして元旦の初日の出の見事さは、生涯忘れ得ぬ思い出となった。湖のように静かな、「ビロードの海面」の入江・英虞湾。幾何学模様の真珠筏が浮かび、そこに落日の夕日が沈み、また旭日が昇る。金色に輝く「行く年の夕日」と「新しい年の朝陽」のバトンタッチは、まさに『黄金の陽々』であった。
私はその時その美しさに涙溢れる思いで「これまで多くの労苦はあったが、今日まで頑張ってきてよかった」と心から思ったのである。
4.晩年期・京洛の正月
正月を、最も「正月らしさ」で実感できるのは、やはり「京都の正月」であろう。京都の「大晦日」の夜は、街は初詣の人々で賑わい、活気に溢れている。とりわけ八坂神社、円山公園あたりは、正月を祝う和服姿の若い男女の人出でいっぱいである。しかし私には、夜の街の景観よりも京洛の町屋の静寂なる年末年始の方が実感が深い。京都の冬の町屋、大晦日の路地奥、正月の雪の白川小路の風情こそが、私にとって、「行く年・来る年」の「来し方・行く末」を体感できるのである。この時私には、真に「如意」として、「時」が実感できる。「時の移り」「時の変化」いわば「時の流れ」と「その瞬間の変り目、節目」が私には見えるのである。
古き美の伝統古色は、狭き路地と町屋の夜の「しじま」と、漆黒の「とばり」が生み出す「白き闇」に代表される。その沈黙の黒白に色どりを附与するものこそが「京洛の正月」なのである。
晩年の私は、四条「柳の馬場通り」の老舗旅館「綿善」で正月を過す。元日の夜こそが「私の京都の正月」である。旅館の奥座敷、「行燈」の灯で立てた茶を喫する時、やって来た「新しい年」を全身で感じる。二階の障子に映る、暗黒の空から舞い散る雪片の影を見やりながら過す、「静謐」なひとときに「私の正月」はやってくる。
晩年に迎える正月は、やはり、孤独の静寂の中の「心の正月」であろう。なぜなら、亡くなる時は誰もが一人孤独な姿なのであり、老齢者には来年もまた「新年」が来るかわからぬのだから。
「お正月」という言葉の響きは、どこかに郷愁と慕情をかき立てる。「正月」の正体が、この情感にありとせば、亡失されゆく人々にも「正月は永遠に」やってくるであろう。
著者プロフィール

堰免 善夫 (せぎめん・よしお)
長野県生まれ。中央ゼミナール(東京・高円寺)で国語科講師として活躍。小論文、現代文を担当し約40年間勤務。中央ゼミナール監事・役員・小論文主任講師の他、大学新聞社就職コンサル塾副塾長、東京国際学園特別顧問を兼任。
近年は全国の高等学校での高校生、保護者、高校教師対象の講演だけでなく、大学生向けの就職支援の講演会にも登壇している。
◇著書
『古の琴歌(いにしえのことうた)』 (小説作品集) 1987年5月
『知見の旅路』 (思索論文集) 1997年5月
『誰にでも書ける 小論文学習の決定版 最も効果的な指導・学習法』 (大学新聞社) 2013年3月
『我が心の久遠・哀愁のヨーロッパ・憂愁の京都』 (紀行随想) 2013年12月
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