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進路新聞バックナンバー

「楽しい」と感じることを追いかけよう

石塚英彦

屈託のない笑顔とグルメリポートの「まいう〜」の挨拶でも知られる石塚英彦さん。ホンジャマカとしてお笑い"を始め、今年でデビュー20周年を迎える。競争が厳しい芸能界で、なおも第一線で活躍し続ける石塚さんは、どのようにして自分の道を切り拓いていったのか。笑顔の裏に隠された進路ストーリーを語ってもらった。

映画「ロッキー」で進路決定

高校時代はずっと柔道に打ち込んでいて、実は今よりもっと痩せていました。そんな部活動漬けなおいらが進路について真剣に考えるきっかけになったのは、シルベスター・スタローン主演の映画「ロッキー」。上映後のスクリーンに、割れんばかりの拍手を送る観客の姿を見て、「俳優という仕事は強い影響力があるんだ」と肌で感じました。その頃から「俳優になりたい」と強く思うようになったんです。

将来は、絶対映画俳優に!

日増しに高まる俳優への思いを、ノートの片隅に映画の絵コンテとして書き綴っていました。友人にそれを読ませると面白いと評判になり、クラスで映画撮影をし、文化祭で発表。観ているみんなの笑顔が嬉しくて、ますます俳優になりたいと強く思うようになりました。ところが、進路希望を俳優と主張しても、まともに取り合ってくれる先生はほとんどいなくて、唯一おいらの理解者だった世界史の先生が、俳優養成校の入学案内を集めてくださるなど、親身になって応援してくれました。「養成校に通って、俳優を目指すぞ!」と息巻いていたことを覚えています。

両親の助言に現実を知る

両親に養成校の話をしたところ、「そこに通えば確実に俳優になれるのか?」と問われ、答えられない自分がいました。小さい頃から、石橋を他人に叩かせてから渡るくらい慎重だったおいらは、俳優になれなかった場合も想定して、就職の選択肢がより多くある文系大学への進学を考え始めました。関東学院大学に進学した最大の理由は、演劇サークルがあったこと。それに、自分の学力に合っていたのもよかった。「四年間、サークルに打ち込んで、それでも満足できなかったら本気で俳優を目指そう」。そんな甘い考えで入学してしまい、後々大失敗してしまいました。

休学して「劇団ひまわり」へ

石塚英彦さん

演劇サークルは、シェイクスピアの英語劇のみで、おいらが期待した内容ではありませんでした。どうしても俳優活動がしたかったので、大学は絶対卒業することを心に決め、大学2年のとき休学し、「劇団ひまわり」に入団しました。入団後、毎日のレッスンは楽しかったのですが、舞い込む仕事は死体のエキストラでセリフがないものばかり。自分が夢見ていた世界とは程遠いものでした。そんなとき、お笑いタレントが映画などに出ている姿に触発され、「俳優への"登山口"を変えよう」と、ワタナベエンターテインメントのお笑いタレントオーディションを受けたんです。するとこれが見事合格。所属してすぐ、太った(笑)刑事役の仕事が入りました。お笑いに転身してよかったと心から思いましたね。

大学で培った教養がベースに

休学から2年後、大学に復学したのですが、同期入学の友人はみんな卒業。本当に寂しかったですね。芸能事務所に所属したからといって必ず仕事がある訳ではなく、将来の保証もないので、その後も芸能活動と両立しながら学生を続けました。振り返れば、大学で学んだ教養などの勉強は、社会で働く上での基本になったと思います。俳優になる道としては、遠回りに思えるかもしれませんが、おいらにとっては大学で勉強し、卒業できたことは本当にラッキーだったと思います。

進路に悩む高校生へ

自分が何をしていたら一番楽しいか、その部分を真剣に考えて欲しい。そして、そこに到達するにはどんなルートがあって、何が必要かを調べてみよう。もしその道がうまくいかなかったときのことも考えて、方向転換ができるよう、次の施策を忘れずにね。将来の目標にしても、今はまだ具体的でなくても、ちょっと興味があるくらいで構わないと思う。まずは勇気を持って一歩踏み出そう。なりたい自分?に近づくために必要なのは、多分その勇気なんじゃないかな。

石塚英彦さん
石塚英彦(いしづか・ひでひこ)
1962年2月6日生まれ。48歳。関東学院大学経済学部卒業。株式会社ワタナベエンターテインメントに所属。お笑いコンビ「ホンジャマカ」で、恵俊彰さんと活動する一方、ソロ活動も併行させ、国民的人気を博している

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