「『不満』の時代と、『不安』の時代」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

※編注:本コラムは3月下旬に執筆いただきました

毎年、卒業の時期になると必ず、尾崎豊の「卒業」を想い出す。
尾崎は、1965年生まれで、僕よりも二つ下の学年になる。
同世代に属する者の感覚として、
あの詞に込められた情念のようなものは、よく理解できた。
もちろん、現在が、

 「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
 逆らい続け あがき続けた
 早く自由になりたかった」

という時代ではないこともわかっている。
仮にだけれど、僕がふだん接してるゼミ生に尾崎の「卒業」を聴かせたとしたら、
きっと彼・彼女らは、感想とか批評とかを通り越して、
キョトンとしてしまうかもしれない。「意味わかんない」とばかりに。
少し想像力が働く学生であれば、「痛い」と言うだろうか。

それくらい年月が経過したし、若者の感覚も意識も変わってきた。
バブルが弾けてしまう前までの時代、若者には「不満」があったと思う。
理由は様々だろうが、現状に満足できなかったからである。
そして、もっと重要なのは、現状は、変えられるという期待や希望を、
微かではあれ、持てたからである。
それが、反抗という形態も含めて、若者の行動力や未来に向かう原動力になっていた。

翻って、今どきの若者はどうなのだろう。
僕が観察する限り、将来への「不安」は大いに抱えていそうだが、
現状に「不満」を溜め込んでいるようには見えない。
不安の原因は明らかである。
「失われた30年」に象徴される日本社会そのものに他ならない。
では、なぜ、不満がないのか。単純化を覚悟で言えば、
現状が、この先良くなっていくという期待が持てず、見通しも立たないからである。
そうであれば、現状に不満を抱くよりも、「推し活」に熱中するのでも、
「無理しない生き方」を模索するのでもいいが、
自らの工夫で現状を上手に受け入れていくことのほうが得策なのである。

不満の時代と、不安の時代では、
若者の将来展望、自己のキャリアに関するビジョンの描き方は、
大きく異なっているはずだ。
問題は、僕たち自身が、後者のような若者に寄り添い、支援していくことの難しさに、
どれだけ敏感になれているかという点にあるのではないのか。
ふと、そんなことを考えてしまった。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。