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「大人になるための通過儀礼」筆者・法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎

高校生のための進路ナビニュース

1月8日、今年もまた成人の日を迎えた。
かつてとは違い、メディアを賑わすような「騒ぎ」は起きなかったが、
全国各地で工夫が凝らされたイベントが行われたはずである。
周囲の学生と接していても、大学2年生を中心に、
「成人式」(彼ら彼女らは、なぜかこう呼ぶ)の印象や仲間内での盛り上がり、
帰省の苦労などを話題にする学生が少なくなかった。

現在の日本では、18歳成年が制度化されたのだから、
本来、成人の日に祝われるべきは、18歳の新成人なのではないかと思うのだが、
その後も(未だに)各地の自治体では、
「20歳の集い」などと称して、20歳になった若者を祝うイベントを続けている。
これは、いったいどういうことなのか。
長年の慣習だから、と言ってしまえば、それまでのような気もする。しかし、
では、一定の時期が過ぎれば、「20歳の集い」なるものは廃れて、
代わりに18歳の新成人を祝うイベントが主流になっていくのだろうか。
――どうもこのあたりがすっきりしない。

なぜ、そんな感覚になるのかを考えてみると、要するに、現在の日本社会においては、
大人になるための通過儀礼(イニシエーション)が、曖昧になってしまっている。
いや、それどころか、ほとんど消失しているという事実に行き着くのではないか。
そうであれば、大人になったと言うためには、
この儀式なり課題をクリアすべきという実質がないのだから、
それを通過したことを祝う(はずの)成人の日のイベントは、
18歳だろうが20歳だろうが、どちらでも大差はないということになってしまうのだろう。

通過儀礼とは、もともとは若者が、共同体が期待する、
一定の役割や任務を担うことができるようになったことを証明するためのものである。
だから、共同体の側も、そこでの役割や任務の新たな担い手の登場を歓迎して、
それを祝うのである。しかし、残念ながら、現在の日本においては、
社会と若者のあいだに、およそこうした関係性(相互性)は成立していない。

そんな状況において、若者のキャリア支援にかかわるとは、どういうことなのだろうか。
日頃から、若者たちに、自己のキャリアデザインにおいて
社会参加や貢献という観点を意識させることの難しさを痛感しているが、
その背景にあるのは、まさにこうした事態なのである。

【プロフィール】
教育学研究者。
1996年から法政大学に勤務。
2007年キャリアデザイン学部教授(現職)。
日本キャリアデザイン学会理事。
著書に、『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)、
『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、
『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)等がある。

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