小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想 アドベンチャー(冒険)物語論考

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小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想

アドベンチャー(冒険)物語論考
2018年2月1日(木)

 アドベンチャー、あるいはベンチャーとは冒険という意味である。「ベンチャー〈venture〉」は主として「投機とうき」「冒険的」の意であり、「アド〈Ad〉」は強意を示すことから「アドベンチャー」は「ベンチャー」よりも、より「冒険性」が強い。いわば「命がけで危険をおかす冒険」を示す。従って「ベンチャー(挑戦的)企業」とは言っても、「アドベンチャー企業」とは言わないのである。

 世界史上の冒険者、コロンブスやマゼラン、あるいはアメリカ国民文学の象徴であるマーク・トウェインが著した『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』はそのアドベンチャーを最も代表するものであろう。
 

 彼らを「命がけの冒険」に駆り立てたものは「ロマン」である。その大いなるロマン・夢は文明的であり、歴史を動かす程のものであった。マーク・トウェインの2つの「冒険少年」の物語も、多分に文明的・歴史的意義を含んでいる。

 ひるがえって、現代の若者、特に日本の若者たちは「アドベンチャー」指向がきわめて希薄である。本稿では「トム・ソーヤー」「ハックルベリー・フィン」の冒険物語を紹介しながら、あらためて「冒険すること」の意味、「冒険の、今日的意義こんにちてきいぎ」について論考したい。もって冒険を望まない安定的若者達に一石を投じ、合わせてさらに、現代に息づいている「冒険音楽」についても取り挙げ、青少年の「冒険心」を呼び覚ますことも試みたい。

1.『トム・ソーヤーの冒険』マーク・トウェイン(1876年)
 19世紀アメリカ国民文学を代表する『トム・ソーヤーの冒険』は、「日常生活の中」でのアドベンチャーである。従ってコロンブス、マゼランやバスコ・ダ・ガマのような未知の世界航海への冒険ではない。しかし、身近な社会にあっても、それは少年としては命がけの冒険である。
今風いまふうに例えて言えば「いじめ問題」に対して、たった1人で、あるいは親友のハックルベリー・フィンと2人で、多数のいじめ加害者および、その保護者、学校、教会(現代日本社会で言えば、倫理・道徳を司る裁判所・警察・文部科学省・教育委員会などにあたる)などと戦う物語である。不条理な集団、社会組織に対する「冒険」であり、いわば「人工社会の偏狭へんきょうさ」に対する「挑戦的社会批判」の冒険である。筆者の個人的見解であるが、もし日本の小・中学校で、上記2つの物語を教えていたら、今の若者はもっと違っていたのではないか。いじめによる自殺や警察が出動するような事件が起きる前に、勇気ある1人の少年、あるいはその親友を加えた2人が立ち上がり、加害者を即座に、徹底的に、命がけで弾劾するであろう。

 この物語は作者マーク・トウェインが少年時代を過ごした1830〜40年代のミズーリ州の小さな村ハンニバルをモデルにした、セントピーターズバーグとその周辺で起きる出来事の話である。
 ミシシッピー河畔の南部アメリカの農村地帯、綿花栽培の黒人奴隷社会を舞台に、トム・ソーヤーを主人公に、ハック(ハックルベリー・フィン)を脇役に登場させる。この2人は親友で、どちらも作者の分身である。彼らはロビン・フッドやパイレーツ(海賊)などに依拠いきょした冒険心を根底にして様々な冒険行を重ねる。
 ある晩、トムとハックは、墓荒らしをしていた無法者のインジャン・ジョーが、いさかいの末、仲間の医師を刺し殺すところを目にする。その後、この殺人者が幽霊屋敷で財宝を隠す算段をしているところに居合わせたトムとハックは、そこで聞いた情報を手がかりに洞窟の奥に隠された財宝を発掘する。
 このストーリーを現代日本社会に置き換えると、兇悪きょうあくな殺人鬼が人殺しをする場面を少年が見てしまい、銀行強盗をしたその兇悪犯を小・中学生の少年たちが追跡して、盗まれた金を取り戻すという話である。今ではそんな少年はいないであろう。
『トム・ソーヤーの冒険』の舞台となる時代は、その20年ほど後に起きる南北戦争でリンカーンの北部軍が勝利し、ようやく奴隷が解放されるという時代である。警察力も機能しない「無法時代」である。トム・ソーヤーの学校でも鞭打ちの体罰が日常的に行われていた。先生の本を誤って破ってしまった女生徒ベッキーへの鞭打ちの罰を、トムが身代わりになって受ける。しかし、ベッキーをかばったトムはそのことを誰にも言わない。現代日本で、いじめの被害者をかばい、自分が身代わりになっていじめを受ける少年などはまずいないであろう。兇悪犯罪や虐待が横行する社会は恐るべき「巨悪社会」である。しかし、トムは勇気をもってそれに立ち向かい、わが身をもって、真っ向から痛烈なる社会批判を行う。このアドベンチャーこそ『トム・ソーヤーの冒険』物語なのである。


2.『ハックルベリー・フィンの冒険』マーク・トウェイン(1885年)
 『トム・ソーヤーの冒険』を発表したマーク・トウェインは、9年後に、今度は脇役だったトムの親友ハックを主人公に『ハックルベリー・フィンの冒険』を発表する。今度のアドベンチャーは前作よりはるかに規模が大きいアドベンチャーである。この物語には旧世界のアメリカが、近代アメリカに変容できないでいる、社会制度、政治体制、文化のあり方に対するトウェインの激しい批判に基づく情熱があふれている。その批判のまとは、貴族制度と教会である。この2つの組織体こそ、最も人間の自由を奪い、魂の自由を妨げるものであるとトウェインは考えていた。
 ハックの眼を通し、貴族主義的封建制の悪弊あくへいに堕落させられた人間の姿が克明こくめいに描き出される。さらに「真のキリスト教精神」を少しも理解しようとしないで、歪められた信条だけをただ無批判に信じ込んでいる人々の姿が映し出される。
 ハックを引き取ったダグラス未亡人の姉ミス・ワトソンは、ハックに聖書を教えようとするが、実は彼女自身が全く聖書の心をわかっていない「聖書読みの聖書知らず」の典型的人物である。彼女の「教育」は日本語訳では「狂育」がふさわしい。それ故にミス・ワトソンは、キリスト教を信仰していながら、黒人を「ニガー(黒ん坊)」と呼び、所有する黒人奴隷のジムを奴隷商人に売り渡そうとするのである。

 ハックの父親は飲んだくれのろくでなしで、長い間ハックの前に姿を見せていなかったのにも関わらず、ハックがトムと一緒に財宝を発掘し、大金を得たことをかぎつけると、即座に駆けつけてきて、ハックを小屋に監禁し、金を奪おうとする。
 こんなことが起きる町の名前が、なんとセントピーターズバーグである。「セントピーター〈Saint Peter〉」はイタリア語では「サンピエトロ〈San Pietro〉」であり、セントピーターズバーグは「天国」である「聖ペトロの町」を意味する。この皮肉はカトリックやカトリック神父に対するトウェインの痛烈な批判である。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』は極めて文明的歴史的意義を有する。アメリカ近代商工業地帯の北部から、黒人奴隷農業地帯の南部を貫き流れるミシシッピー河。この河をミス・ワトソンの下から逃げ出した黒人奴隷ジムと、父から逃げ出したハックは一緒にいかだで流れ下る。白人少年と黒人奴隷が生死を共有する。急流すさまじいミシシッピー大河。2人が力を合わせ、あらゆる困難を乗り越える。その途中で見つけた難破船の名は「ウォルター・スコット号」。ウォルター・スコット(1771〜1832年)はスコットランド最高の小説家である。しかし、彼の「中世騎士物語」こそ、閉鎖的階級的封建制をもって、アメリカ南部社会に計り知れない弊害<へいがいをもたらしたものである。ウォルター・スコットこそが奴隷制推進の張本人であるとも言える。故にトウェインは、ウォルター・スコットを難破船に仕立ててミシシッピー河底深く沈めたのである。

 ミシシッピー河とオハイオ川が合流する「タイロの町」、ここが分岐点となり、これより南が「南部」となる。上流の北部近代社会と下流の南部封建社会。ハックとジムの眼が、鮮やかに「北部と南部」を対比させ、文明のあり方を考えさせ、自由と不自由、平等と不平等を読者に突き付ける。トウェインはこの作品を通し、人間の自由とは何か、魂の自由とは何かを教え、読者を人間解放へと導くのである。

3.アドベンチャー(冒険)音楽
(1)交響的情景『地底旅行』(ピーター・グレイアム作曲)
 この音楽は『月世界旅行』『80日間世界一周』と共に知られる、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの名作冒険小説『地底旅行』をモチーフとしたものである。この『地底旅行』を吹奏楽団の演奏で聴くと、まさに「地底」「地球の内部」が眼に見えるように迫ってくる。この物語は、オットー・リーデンブロック教授と、その甥の主人公アクセルがガイドのハンスと共に死火山スネッフェルスの火口から地球の内部へと入って行く話である。
 地底を旅する過程で、数々の危険に遭遇しながら奇跡的に命拾いをし、最後には噴き上げられて地上に生還を果たす。吹奏楽では、様々な場面を時系列に沿って奏でられる。電気的作用により大空洞の驚異の光景が曲により眼前に彷彿ほうふつさせられる。迷宮で一人迷子になり絶望するアクセル。絶望の中で「神に祈る」アクセル。音楽では、その場面でのパートの楽譜には、In a whisper“De profundis, clamavi ad te, Domine”(ラテン語で「深い淵から、主よ、あなたに叫びます」の意。聖書詩篇第130の一節)と記載されている。この幻想的雰囲気の醸し出かも だし方は各パートの腕の見せどころと言えよう。さすがに、このクライマックス部は、どの吹奏楽も実に美しいメロディーで、その静かに奏でられる曲調がかえって、聴衆の冒険心を駆り立てるのである。

(2)『マゼランの未知なる大陸への挑戦』(樽屋雅徳作曲)
 ポルトガルの海洋探検家フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan 1480?〜1521年)は、大西洋と太平洋を結ぶ、マゼラン海峡を開き、初めて世界周航を成し遂げた大冒険家である。この曲は「マゼランの世界一周の夢」をテーマに万里の波濤はとうを超えて、新大陸への大いなる期待、そして故郷への凱旋がいせんの描写が、いくつものクライマックスを越えて奏でられる。それぞれのクライマックスの場面、場面に応じ、各楽器のパート、クラリネット、サックス、ヴィブラフォン、トランペット、トロンボーンなどに見せ場がある。この聴かせ場の連続の楽曲に、聴衆はドラマチックな「世界周航の大航海」にいざなわれるのである。聴衆の身も心も冒険心のハイテンションに支配される。
 この曲は、或る一時期、海賊かいぞくPiratesパイレーツ〉(特に北欧スカンジナビア海賊はバイキング〈Viking〉と呼ばれる)を主人公にした映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』などが流行した頃、吹奏楽界では大変人気があった曲であり、今なお人気が持続している有名な楽曲である。

(3)交響組曲『ドラゴンクエストV』(すぎやまこういち作曲)
 交響組曲『ドラゴンクエストV』は「ゲームミュージック」という新しい音楽ジャンルを切り拓いた画期的な楽曲である。まさに音楽史上に残る偉大な足跡と言える。ゲーム音楽「ドラクエの演奏」と言えば、さぞかし「ポップス」と思われるが、実際にはまさしく「ニュー・クラシック」である。「百聴は一聴にしかず」この吹奏楽曲は、演出が一切なしのコンサートが最もふさわしい。しかし、場面設定が実に明確であることが、かえって演奏を困難にしている。ところが、クラシックのテイスト(香り)に乗せることにより、序曲「ロトのテーマ」をはじめとして「世界をまわる(迷宮ピラミッドや島国ジパングなど)」そして「冒険の旅」「海を越えて(大航海)」「おおぞらをとぶ(不死鳥ラーミアに乗り魔王の城へ)」「勇者の挑戦(大魔王との最後の決戦)」「そして伝説へ(長い旅の感動のエンドロール)(新たな伝説の始まり)」など、全てが「究極の標題音楽」として完成している。全曲中のちょうど中間の「冒険の旅」の行進曲は勇壮で、ドラクエ全シリーズ中、最も優れたフィールドのテーマであり、名曲である。この曲を聴く全ての人々の心が、いつの間にか「冒険心」に燃え上がってしまう。その全曲がクラシックの香りに満ちているのは不思議な驚きである。このようなクラシックもあるのである。 以上、2つの冒険物語と3つの冒険曲を取り挙げ、紹介した。こうして論考してみると、「冒険」は、マンネリ化した現代人の人生観を、新鮮な活力により「新生」させる。「私も冒険したい!」と熱い思いを抱くのは、決して筆者ひとりではあるまい。「いのちがけのアドベンチャー」ができるなら「死んでもよい」と思うのは「思い過ぎ」であろうか。

 「光彩陸離こうさいりくりたる人生」でありたいものである。

著者プロフィール

堰免 善夫 (せぎめん・よしお)
長野県生まれ。中央ゼミナール(東京・高円寺)で国語科講師として活躍。小論文、現代文を担当し約40年間勤務。中央ゼミナール監事・役員・小論文主任講師の他、大学新聞社就職コンサル塾副塾長、東京国際学園特別顧問を兼任。
近年は全国の高等学校での高校生、保護者、高校教師対象の講演だけでなく、大学生向けの就職支援の講演会にも登壇している。


◇著書
『古の琴歌(いにしえのことうた)』 (小説作品集) 1987年5月
『知見の旅路』 (思索論文集) 1997年5月
誰にでも書ける 小論文学習の決定版 最も効果的な指導・学習法』 (大学新聞社) 2013年3月
『我が心の久遠・哀愁のヨーロッパ・憂愁の京都』 (紀行随想) 2013年12月

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