小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想 「左と右、右と左」

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小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想

「左と右、右と左」
2017年10月1日(日)

1.左と右
 この世界には様々な「左」と「右」が存在し、それぞれ意味合いや優劣を付与されている。今回はそれら左と右について、文化学、心理学、生物学などの複数の観点から考察してみたいと思う。

 左大臣と右大臣とでは「左大臣」の方が上位の官位とされている。しかし、「左遷させん」では、左の方が下位とされる。また「右に出るものがない」と言えば、右ほど上位ということである。
 野球のメンバー表では、レフト(左)、センター(中央)、ライト(右)の順で、番号もレフトは7番、ライトは9番である。これは左が上位である。
 歌舞伎の口上では「右から左へずーいと」であり、一方「右や左の旦那様」と言うと、哀れに感じられる。
 「証左しょうさ(証拠の意味)」は「証右」とは言わない。逆に「座右の銘ざゆう めい」は「座左の銘」とは決して言わないし、「右往左往うおうさおう(あちらこちらに混乱することで悪い意味)」も「左往右往」とは言わない。ただし、「右顧左眄うこさべん」 、「左顧右眄さこうべん」 はどちらも使われ、どちらでもよい。どちらの場合でも「右を見たり左を見たり、情勢ばかりうかがい決断しない」という悪い意味で使われる。

 左から読んでも右から読んでも同じになる言い回しは、漢字では「山本山やまもとやま」がよく知られているが、仮名文字では、
「かたみをみたか」(形見を見たか)
「ゆきとくときゆ」(雪疾くと消ゆ)
「まいりけりいま」(参りけり今)
「とものきつるは、はるつきのもと」(友の来つるは、春月の下)
といったものがある。
 「うそはほんととよくまざる」と詠った谷川俊太郎の詩『うそとほんと』ではないが、「右が本当」で「左が嘘」か、はたまた「左が本当」で「右が嘘」か。左と右のどちらが優位であるのかはまことに判然としない。
 

2.鏡の世界における左と右
 「あら、ここに道があるわ、まっすぐ丘まで続いている。――だめ、また違った! 真直ぐお家へ戻ってくるじゃないの!」アリスは(中略)今度は逆の向きに歩いてみようと考えました。その計画は見事に成功しました。(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より)
 
 美容院で、美容師さんが道具を取り換えに、私の背後から後方へ歩いて行く時に「鏡の中」では、私に背を向けた女性が、私の真直ぐ前方へと歩いて行く。これは先に引用した『鏡の国のアリス』で、アリスが「鏡の国」に入って間もなく体験したことと同じである(前に進むためには、逆向きに歩く)。
 キャロルの『鏡の国のアリス』においては、我々の「鏡のこちら側」の世界が「常識(センス)の世界」だとすれば、その裏返しの「鏡の中の世界」は「ナンセンスの世界」である。また、その逆に「鏡の中の世界が常識の世界」だとすれば、「我々のこの現実世界はナンセンスの世界」と言える、ということを言っているのである。

 ところで「鏡の中ではなぜ左右が逆にあり、上下は逆にならないのか?」と疑問を抱いたことはないだろうか。
 鏡の中の人物は、あなたの「裏返し」で、当然あなたの方を向いている。そこで、あなたの側からは、上下も左右も変わってはいない。(前後だけが逆になる)しかし、向かい合っているので「視線」の向きだけは逆になっている。そのために「鏡の中のあなた」から見れば、左右の意味は逆になるのである。前後の意味も逆になるが、最初のあなたの視線で見た時、鏡の中の前後はすでに逆で、次に「鏡の中のあなた」から見た前後も、また逆になる(2度逆になるので前後は一致して逆にはならない)。一方、「上下」については、上下の概念は頭の方向だけで決まり、視線の向きには関係ないので、実態も意味も変わらないのである。
 

3.生物における左と右(相称性)
 不思議なことに、生物の形態は自然界では常に対称性(左右が全く同じ)を示している。
 物理学や数学で「対称」と呼ぶ言葉は、生物学では「相称」と言う。「相称性」は生物界を通じて普遍的である。より詳細に言えば、相称性には「放射相称(鏡像面が多数ある場合)」、「二放射相称(直交する2つの鏡像面がある場合)」、「左右相称(鏡像面が1つでほとんどの生物がこの型)」の3種がある。
 対して「非相称」として、らせん型、不規則型などがある。珍しい形としてヒトデ・ウニなどは、自由運動をする幼態では「左右相称」であり、成長して定着すれば「放射相称型」になる。
 では、一体なぜ、ほとんどの生物が「左右相称型」なのであろうか。
 そもそも生物の形を第一義的に決定するのは、上下という位置関係の影響度である。上方とは重力に逆らう方向で、下方とは重力に従う方向である。故に、ある一定の大きさを有し、重量の影響を受ける生物には、上下の区別がある。一方、微生物においては生体内物質の凝集力の方が重力より強いため、上下の区別は生じない。
 動物の体の形態は、本能的特徴である前進運動と密接にかかわる。そのような動物の体には前後関係が生じる。基本的には、直進方向の先端に口があり、その方向を前方とし、その反対が後方である。そして、上下・前後が生じた結果により、その能率的運動のため、等価的に左右相称になったのである。
 脊椎動物は原始魚類として海水中に発生した。ここでの前進運動にあたっては、体幹を左右に波動させた。これは左右の体幹筋が交互に収縮することによって生ずる運動である。だから人体中の脊椎は最も基本的な骨であり、背筋や腹筋とともに非常に古い歴史を持っている。
 これに比べ、全身運動のない「植物」には前後もなければ左右もない。ただ太陽光に関する東西南北の差異がみられるのみである。これが動物(動くもの)と植物(動かないもの)との違いである。


4.左脳と右脳(心の科学)
 左右の脳の機能差と文化型について、最近の研究により明らかになったことがある。
 左脳的「左の文化」は、西欧諸国をはじめとする先進国の科学技術的なものの考え方を支える合理的・分析的思考、言語、計算などに代表される。一方、これに対して右脳的「右の文化」は、発展途上国の宗教的心情、情緒、芸術的な感性を支える直感的・総合的・非言語的な機能に代表され、これにより、宇宙全体の中における自己の位置を自覚させる働きができるとも言われている。
 この左右両脳・両文化の間にバランスを保ちつつ発達することが人間性を豊かにし、生産的活動と、自己の内部の心の平和を両立させることになる。それが文明的にも文化的にも豊かになる原理であるとの研究結果である。
 さらに驚くべきこととして、日本人は左脳文化にも右脳文化にも属さない独自の型の文化を持っているということが明らかになっている。左脳と右脳の両文化を合わせ持っているのが日本人の思考の原形であり、日本民族が「論理」と「情緒」のバランスが取れた「情理の民族」であることが判明したのである。

 この左右のバランスが取れてこそ、左脳と右脳の質的機能性が正反対であっても、まさに左右相称脳のシンメトリーが確立されるのである。
 「シンメトリー(対称・相称)」という言葉は、ギリシャ語に源を持つ「synシン(一緒に)」と「metryメトリー(計る)」からきたもので、古くは「ハーモニー(調和)」と同義であった。この「一緒に計る」調和のシンメトリーこそが「美の基本要素」なのである。「美しい音楽」は「対位法」の原則により「ソプラノが上昇」する時は「バスは下降」した方がよいとされる。平行5度、8度などが禁止されているところからも平行関係より対称関係の方が美的と見なされていることが分かる。ハーモニーの現代的意味は「ポリフォニー」における「和声的協和」のことである。つまり「多くの音の響きを一緒に計る」というシンメトリーの原義である。
 

5.対称・相称
 宇宙における、あるいは自然界における「対称・相称性の原理」は、一見、物理学、芸術、生物界に偶然に起こった現象のように見えるが、実はそこには人類や万物の歴史の宿命を感じさせる深淵がのぞかれているように思われる。
 ギリシャ時代から近世にかけての人類の文化・文明の華々しい発展は、中世以来の「自然法思想」「ライプニッツの予定調和説」などに共通に見られるように、「世界、自然、宇宙に内在する調和と均整」への信頼と畏敬により培われ、支えられて来た。あたかも、それは時に「神の属性」に帰せられているかの如くに。
 しかし、その後19世紀近代から20世紀現代においては、近代理性、近現代科学により、その神聖領域への侵犯が行われるようになった。
 「利き腕き うで」は人類特有の現象である。左利きの猿、右利きのライオンなどはいない。人類にはなぜ右利きと左利きがあるのか、そしてなぜ右利きが優勢であるのかについての理由は判然としない。人間が他の動物に比べ、非常に神経質で戦闘的であることがその理由かもしれないとの推察もあるが確かではない。
 「利き腕」に見られる左右の優劣差は、人類特有の現象であると叙したが、実を言えば「蔓草つるくさ」の大半の巻きつき方や、ほとんど全ての「巻き貝」の貝殻の巻き方は右巻きとなっている。また、ウミザリガニの右のハサミは左よりはるかに大きいし、タコの生殖器(交接腕)は「右に片寄って」いる。これらなども人間の右優位の傾向と無関係ではないと思われる。
 そこであらためて「反対称(反相称)力」というものを考えてみることが重要になる。
 この「反対称」についての研究もかなり進んでいる。外見が異なっているが根が同じという類似「ホモロジー〈HOMOLOGY〉」と、根が違っているにもかかわらず機能が同じという類似「アナロジー〈ANALOGY〉」。この2つの類似の観点から様々に「対称」についての考究がなされ、それらの現象の間に「偶然ではない共通の原則」が発見されている。
 それなのに、なぜ「反対称性」が生まれるのか。いや、なぜ「対称が破壊」されるのか。言葉を厳密に選べば、「対称が作り出される前の対称がない状態」は「アシンメトリー〈ASYMMETRY〉」と、「対称が破壊された後の対称がない状態」は「ディシンメトリー〈DISSYMMETRY〉」と定義される。そして、この「ディシンメトリー(対称破壊)」こそが「進化」の真の原動力であったと考えられる。
 それでは、なぜ「反対称力」が働くのかと言えば、これまた結論的には「第2の万有引力の如きもの」と言える。「反対称力」も「対称力(相称力)」と同じように「宇宙の至るところで普遍的に一定の持続力をもって同一の方向に」働いている。「宇宙の法則」とは何と不思議なことであろう。
 いずれにしても「右の優位」は地球人類・世界共通である。この考えは世界異文化間共通で「道徳的で象徴的な様々な特権」が「右」に与えられている。このことは現在の世界の通説である。
 しかし、日本のみでは、本稿の冒頭で述べたように「尚左(左優位)」であり、これは「神代尚左じんだいしょうさ」と称され、日本古来の国学創始以来の伝統定説である。『岩波古語辞典』の「ひだり」の項には「古代日本では左は右より重んじられ『左手は奥の手』と言われ、左大臣は右大臣より上位だった」とある。
 『竹取物語』の「かぐや姫」伝説、『浦島太郎伝説』の「ウラシマ効果」のことなどを総合して勘案かんあんすると、この「世界の反対称右優位」に対する、日本の「左優位のバランス対称」こそ、世界中で日本人の考えが最も「宇宙の法則に近い」ことの「証」と言えよう。

著者プロフィール

堰免 善夫 (せぎめん・よしお)
長野県生まれ。中央ゼミナール(東京・高円寺)で国語科講師として活躍。小論文、現代文を担当し約40年間勤務。中央ゼミナール監事・役員・小論文主任講師の他、大学新聞社就職コンサル塾副塾長、東京国際学園特別顧問を兼任。
近年は全国の高等学校での高校生、保護者、高校教師対象の講演だけでなく、大学生向けの就職支援の講演会にも登壇している。


◇著書
『古の琴歌(いにしえのことうた)』 (小説作品集) 1987年5月
『知見の旅路』 (思索論文集) 1997年5月
誰にでも書ける 小論文学習の決定版 最も効果的な指導・学習法』 (大学新聞社) 2013年3月
『我が心の久遠・哀愁のヨーロッパ・憂愁の京都』 (紀行随想) 2013年12月

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