小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想 グローバル時代の大学教育

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小論文指導の第一人者・堰免善夫先生の教育・文化随想

グローバル時代の大学教育
2017年8月1日(火)

 2017年の現在、世界と日本は大きな時代の転換を経て、「グローバル時代」を迎えている。
 26年前の20世紀末(1991年)に、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の崩壊が起こった。その少し前、1989年6月に中国で民主化運動を弾圧した天安門事件が起こり、半年後の11月には東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、東西冷戦が終焉しゅうえんを迎えた。
 この歴史的な大変化と時を同じくして目覚ましい情報技術の進歩、IT〈Information・Technology〉化が急進展していった。パソコンに加え、携帯電話、スマートフォン等の情報端末機器が驚異的な発達を遂げた。
 この東西冷戦後のボーダーレス社会の到来と、社会インフラのIT化こそが、まさに「グローバル世界」の誕生と「グローバル時代」を招来しょうらいしたのである。そして、この「グローバル化」は、もはや決して後には戻れない地点、ポイント・オブ・ノーリターン〈Point of No return〉を越えてしまっているのである。ここで新ためて、グローバル時代とは何かを考えてみよう。

1.グローバル化とは何か
 グローバル化〈Globalization〉と国際化〈Internationalization〉とは違うということの理解は重要である。
 「国際化」とは、国と国との関係、地域と地域との関係についての概念である。国〈Nationネーション〉と国〈Nationネーション〉の間〈inter〉が「インターネーション〈Internation〉」であり、このインターネーションの形容詞が「インターナショナル〈International〉」である。従って「国際化」は平面的で水平的な関係を示している。
 一方「グローバル化」とは【全球化】つまりまさに【地球化】のことで【立体的】な概念を示す言葉である。
 「国際化」は国境無きボーダーレスのことである。それに対し、立体的な「グローバル化」とは一体どういうことであろうか。
 「グローバル化」という言葉が初めて使われたのは1944年のことで、カナダのオリバー・L・レイザーと、B・デーヴィス(女性)という2人の社会学者が著した『PLANETARY DEMOCRACY プラネタリー・デモクラシー :(宇宙的民主主義)』という書籍の中で「グローバライズ〈globalize〉」「グローバリズム〈globalism〉」と表現したことによる。
 この全宇宙的、全地球的な民主主義という、極めて建設的な表題(タイトル)にふさわしい使われ方をした用語がそもそもの発端であった。従って、この「グローバル化」には、最初から、人類の将来における豊かな人間性、人道主義的な哲学的内容が含まれていたのである。ゆえに「グローバル化」は、単なる「国際化」とは異なり、人間の中味まで含まれる立体的なボーダーレスの意義が込められているのである。
 人間の中味を含む「立体的」なグローバル化に必要な人間力とは、単なる語学力によるコミュニケーション力ではないことは言うまでもない。それは、日本人としてのしっかりしたアイデンティティ(自我)を持ち、国際世界の中で真に活躍できる中味のある人間の力である。それをさらに具体的に換言すれば「確固たる識見を身につけた教養」である。別の言い方をすれば、自己の判断の根幹を支える「中芯ちゅうしん」となる「正しく力強い知力」と言ってもよい。
 この「識見を生む教養的知力」こそが、まさに「リベラルアーツ〈Liberal Arts〉」である。このリベラルアーツを身につける過程は、青年期に最も重要な「知的体験による精神的練磨」の集積による「知的経験化」のプロセスと言えるであろう。語学も、その上にこそ、実践的なコミュニケーション力を発揮できるのである。
 「リベラルアーツ」による「立体的グローバリズム」を更に深めて言えば、自己のこのような知的体験の経験化を「時間的座標の縦軸」とし、加えて、広き視野に基づく異文化体験の経験化による「空間的座標の横軸」との統合を成すことと言える。その上に更に、未来ビジョンを有する「全人類共有の人間哲学」を内包した知的教養こそ、「立体的グローバル化」を実現してゆく、まことの「リベラルアーツ」と言えるものである。

2.日本の大学教育
 時代に先駆け、最も先進的な知を追及する「知の共同体」こそ「大学」でなければならない。だが、日本の大学教育は、はたして、その役割を果たしてきたのであろうか。
 四方を海に囲まれた島国・日本は、江戸期の長き鎖国時代を経たがため、「国際化」は著しく遅れた。そして、近代明治より約150年、ようやくにして、日本も「国際化」の仲間入りを果たしつつある。しかし、なお世界の大きな時代転換の波には乗れず、「グローバル化」にはきわめて大きく遅れを取っている。
 前述した、「グローバル化」時代を招来した25年前の大転換期以後、日本のグローバル化遅延の最大要因となったのは、まさに大学教育であった。日本の大学教育にとっては、それこそ「失われた25年」なのである。この25年間「知の鎖国〈Intellectually Closed Shop〉」と呼ぶにふさわしいあり方を日本の大学教育は呈していた。
 なるほど確かに「国際化」に対応すべく、英語を中心とした語学教育にはどの大学も力を入れた。
 しかしながら1991年(平成3年)実施の「大学設置基準の大網化」により、大学設置基準が簡略化され、各大学がカリキュラムを自由に編成できるようになった。その結果、大学教育の本質である「教養課程」が、多くの大学からなくなってしまったのである。学部段階で最も重要な「リベラルアーツ教育」が消えたのである。
 大学・学部で最も必要なのは「教養教育」である。このことは自明のことであったはずである。戦前の旧制高校、東京大学教養学部、国際基督教大学(ICU)教養学部創設など、かつての日本の大学では「教養教育」の伝統と歴史があった。教養教育は、グローバル化時代において、ますますその重要度を増していっているのにもかかわらず、日本の多くの大学は、その流れに逆行していったのである。
 アメリカの場合、世界的にも屈指の名門私立大学である、コロンビア大学、コーネル大学、ハーバード大学、プリンストン大学、ペンシルヴェニア大学、イエール大学、ダートマス大学、ブラウン大学(アイビーリーグ〈IVY League〉と呼ばれるアメリカ東部の名門8大学)などは皆、学部の4年間をリベラルアーツを学ぶ「教養教育」にあてている。
 さらに日本の大学の逆行の原因として、ほぼ同時期に「大学院重点化」が行われ、大学・学部が「空洞化」したことが挙げられる。本来、大学で最も重要なのは「学部」であるにもかかわらず、日本の多くの大学では「大学院」に権威を与え、「大学院教授」の肩書きを上位に置いた。そのため、学部教育が、教授自らにより軽んぜられていったのである。「大学院教授」などという肩書きは、日本国内でのみ通用する局所的な権威でしかないのにも関わらず、である。
 これまで日本は「教育の先進国」「近代化の成功国」と言われてきたが、その地位はもはや崩れ始めているのである。

3.新しいグローバル教育の大学
 このような日本の大学教育に対する謙虚な反省に立ち、抜本的な大学教育改革が要請されるのは必然であった。本来、時代に先駆け、時代の変化に対応できる世界的人材を育成することが求められる大学が、社会を構成する他の組織や機関にさえ、かなり遅れを取ってしまったことの危機感は強い。
 しかし、早くからその危機感を肌で実感し、自覚し、対応しようとした日本の大学もなかったわけではない。地方大学を含む、各大学の一部の学部などでは、シンキング・グローバリー〈Thinking Globally〉(地球規模で考える)にして、アクティング・ローカリ―〈Acting Locally〉(地域規模で活動する)の形を示す大学も多少なりともあったことは事実であった。そして、グローバル化に本格的に対応し、抜本的な意識改革を図ろうと新たな挑戦を志した大学もわずかながらあった。
 それは新構想による慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)、総合政策学部・環境情報学部の2学部である。SFCでは、21世紀のグローバル時代に活躍できる学生として、@人工言語たるパソコンを駆使できる。A問題解決能力を有する。B激変する世界環境に対応できる柔軟な適応力に優れる。C日本語と英語の他に最低、西欧系言語1つ、東洋系言語1つを実践的に駆使できる。などの力を養成する教育を徹底して行ってきた。
 一方、「人間性の根元に触れ、思考できる人格の陶冶とうやに資する教育」により「幅広く深い教養と正しい批判力を身につける人材育成」をもって世界193ヵ国地域の平和と人類の幸福を目指す創価大学も特筆されるであろう。
 さらに、2004年に開学した国際教養大学(AIU)は、まさにグローバル時代に対応できる日本人のために創設された大学である。全授業をすべて国際公用語である英語で行う、外国人留学生とともに1年間の寮生活を体験する、全学生の海外留学が義務付けられているなど、AIUでは厳しいグローバル教育プログラムを通じて、将来グローバル社会で活躍できる人材の育成が目指されており、その成果も徐々にあらわれてきている。
 これらの大学をコア(中芯核)として、遅ればせながら、日本もようやくにしてグローバル化に対応する大学の道筋ができていくことが期待される。

4.グローバル時代の基本教育
 これまでグローバル時代に対する日本の大学教育について論考してきた。当然のことながら日本の大学生は、初等・中等教育を受けてきた高校生の延長線上にある。21世紀未来のグローバル化に対応するためには、言うまでもなく、大学以前の「基本教育」についても抜本的改革が必要である。
 自明のことながら、そもそも、教育の基本は「徳育」を中心とした「知育」「体育」の三位一体である。加えて徳育には「品格」と「教養」が必然となる、その上に「グローバル教育」のためにはどうしても「異文化理解」「情操」が必須である。

 日本においては、2011年から小学校5・6年生に英語教育が導入されている。それにつけて思い出されるのは、明治初期、1876年(明治9年)に東京外国語学校(現・東京外語大学の前身)に学んだ人々のことである。
 当時の外国語学校は入学に年齢制限はなかった。その時、10歳の岡倉天心おかくらてんしん、11歳の新渡戸稲造にとべいなぞう、12歳の内村鑑三うちむらかんぞう、13歳の嘉納治五郎かのうじごろうらが英語を学んでいたのである。
 この4人の英語力は、現在の大学生の語学力に比べ、はるかにレベルが高く極めて実践的であった。その証拠は、英文で著わされた岡倉天心の『茶の本〈THE BOOK OF TEA〉』、新渡戸稲造の『武士道〈BUSHIDO・THE SOUL OF JAPAN〉』を読めば充分であろう。現在の日本の学生、いや学者でさえ、このレベルの本を英文で書けることなど、とてもではないがあり得ない。
 言うまでもなく、彼らの英語は、日本人としての哲学、アイデンティティが確立された上に、知的教養が体験的に積まれ、深い教養に基づく批判精神がある「リベラルアーツ」を真に体得していた上での英語力であった。
 それ故に、基本教育として小学校5・6年生で英語を学ぶ前に、1〜4年生で「異文化理解」の学習を行っておく。そしてその後、英語によって異文化理解教育を行って万全を期す。これこそがあるべき英語教育の流れではないかと思える。
 「異文化〈other cultures〉理解」のためには、当然のこと「自文化〈our cultures〉」の修得が必習である。そして、さらに小学校に上がる前の幼児教育として、音楽を中心とした美術などの芸術による情操教育が最も必要であろうと考えられる。

 リベラルアーツの基礎は、人間学、哲学である。西洋では神学・哲学を土台とした3学(文法学・論理学・修辞学)と4科(幾何学・算術・天文学・音楽)この7つの自由科目が「リベラルアーツ」の根源にあった。
 外国人の知識人は、しばしば「あなたのお国の宗教は何ですか?」と聞いてくるが、ほとんどの日本人は即答することができない。すると「宗教なくして、どうして倫理・道徳を青少年に教育できることができましょう!」と追及される。
 事実、新渡戸稲造は返答に窮し、このことが『武士道』著作の動機となったと告白している。創価大学を別にすれば、日本の「グローバル教育」における「リベラルアーツ」の根幹に、各大学は「何の哲学をえるのか」が今後の最大の課題となろう。
 もうひとつ大きな問題は、教える側の教師の資質、姿勢、教育方法などである。教師はグローバル教育のために、自らをどのようにして高めていけばよいのか。

 「グローバル化時代の理想的な人材」について、元国際連合事務次長・明石康あかしやすし先生は「グローバル化時代とは、異民族・異文化に属する人達が、互いのアイデンティティを認め合いながら、寛容と相互理解を育む時代である。生い立ちも習慣も全く違う人達と、国際共通語である英語で意思疎通ができ、チームワークを作れる能力を有する人」であると語っている。
 教師はまず自ら、そのような人になるべく自己研鑽じこけんさんを積まねばならない。その上で、その自己のりどころとして求められるのが「哲学」と「情熱」である。この場合、哲学とは、生徒・学生も教師も「自らの中に芯を持つこと」である。人はスパイラル(らせん形)に伸びていくものである。そのためには中芯柱が不可欠である。情熱とは「生徒・学生の成長を心から喜べる熱き思いのこと」である。
 そして、「哲学」と「情熱」を持ちつつ、教師が日常の教育活動を進めていく時に力になるものが「教養」と「良識」である。この場合、教養とは「豊富な知識を効果的に生徒・学生に伝え、理解させる力のこと」である。その時、必然的に求められるのは、一人ひとりの相手を大切に思う感性である。一方、「良識」とは「生徒・学生のために、教師が連携して教育に携わる協調性のこと」である。教育を通して協働文化を創っていこうとすることが教師の良識である。自己顕示欲の強いカリスマ教師は、グローバル教育には不要であるだけでなく害悪となる。

 これらの教師の在り方の根底には、当然のこととして、常に「気付き」と「振り返り」が、人間としての・・・・・・教師に具わっていなければならない。
 いずれにしても「人材は厳しい環境においてこそ育つ」ということは真理であろう。21世紀の地球環境にあって、日本も、少しでも早く「世界のグローバル化」に追いつき、追い越すことを念願するものである。

著者プロフィール

堰免 善夫 (せぎめん・よしお)
長野県生まれ。中央ゼミナール(東京・高円寺)で国語科講師として活躍。小論文、現代文を担当し約40年間勤務。中央ゼミナール監事・役員・小論文主任講師の他、大学新聞社就職コンサル塾副塾長、東京国際学園特別顧問を兼任。
近年は全国の高等学校での高校生、保護者、高校教師対象の講演だけでなく、大学生向けの就職支援の講演会にも登壇している。


◇著書
『古の琴歌(いにしえのことうた)』 (小説作品集) 1987年5月
『知見の旅路』 (思索論文集) 1997年5月
誰にでも書ける 小論文学習の決定版 最も効果的な指導・学習法』 (大学新聞社) 2013年3月
『我が心の久遠・哀愁のヨーロッパ・憂愁の京都』 (紀行随想) 2013年12月

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